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旅立ちのとき チラシ
「庭園」になってきた  2023年度の体制
2024年度の体制 やりにくくなったこと

やりにくくなったこと

平和病院緩和ケア科が開設以来ひたすら守り続けている方針は『いったん私達にご紹介された患者さんに関しては、体調悪化で緊急入院が必要な場合には「絶対にお断りすることなく」24時間365日確実な受け入れを行う』・・ということだ。
実際、緩和ケア科の入院患者さんの8割程度は緊急入院であり、予定入院を大きく上回っている。
平和病院に救急車で搬送される患者さんの7割以上が緩和ケア科の患者さんであり、一般的な「緩和ケア」のイメージとは異なっており、実習に来る学生さんや、研修医には、いつも驚かれる

平和病院は開設以来、(株)東芝が運営に関与していたが、東芝の経営事情も大きく変わり何年か前にCHCPという、医療経営グループの傘下にはいっている。
もちろん、民間病院であるので経営の黒字化がめられる。
人材確保や設備投資にはそれなりの資金が必要であり、医療の質の確保にも資金は必要で、収支の安定化はもちろん追及する必要がある。
現在146床で運営されているが、経営目標は142名に設定され、地域連携室機能を強化し、4東病棟を地域包括ケア病棟として運用、積極的に急性期病院からの転院患者さんを受け入れ、在宅復帰や施設入所につなぐ方針として運用、毎朝入院患者数が報告され、「受け入れをお願いします」というメッセージが送られてくる。

自分も以前は病院の理事長・院長としてかじ取りをしてきたが、病床稼働率はギリギリではなく(それでは、経営者としては本来いけないのだろうが)何人緩和ケア科の緊急入院があっても余裕で受け入れができていた。
しかし・・・
日にもよるが、最近かなりベッドコントロールがタイトになっており、余裕ある転院などの受入れが遅れる場合も出てきている。
今のところ、なんとか緊急入院をうけられない事態は避けられているが、この夏、猛烈な暑さで体調を崩す患者さんも多く、緩和ケア科で1日4~5人の緊急入院が発生することも出てきている。
こちらが忙しくなるのは、大変ではあるが、野戦病院のような忙しさはなれているし、いとわないのだが、
綱渡りの様な日が続くときはハラハラ、イライラしてしまう。
かといって、何人来るかも定かではないような場合に備えてベッ空けておけないという、経営上の理屈もよくわかる。
さらに事態を悪化させているのがコロナの感染者の増加で、入院時の検査で初めて要請が確認されるケースや、入院中の患者さんが熱発して検査で陽性が確認されることが急激に増えており、多床室で発生した場合には感染者は個室隔離、同室者は経過観察が必要で,発生した部屋に空床があっても新たに患者さんを入れられないため、使用できるベッドがさらに少なくなるというじょうきょうになっている。
どうにもこうにもコントロールできないときのために、一時的な混合病室を検討したり、病室レイアウトを変更して受入れが一時的に増やせる対応も提案して考慮されているが、なかなか実現しない。
緩和ケア病棟は16床常に満床,退院が出ればその日のうちにはほかの病棟で待機されていた患者さんが転棟する状況で、緩和ケア科の入院患者数は30人を超えている。
この忙しさの中、10月からは常勤医師が一人減る予定になっており、のんびり『ご隠居』・・という状況ではない。
多くの患者さんのお役に立つことは必要であり、いとわないが、受入れの入り口部分で、ハラハラするようなストレスは感じたくないのが正直な気持ちだ。
急性期病院からの受入れの役割は、病院の機能分担から見れば大切ではあるが、それらの患者さんはつねに「予定」入院であり、今まで外来にかかっていたり、厳し詞状況で在宅の先生方やスタッフに支えられて頑張ってきた緩和ケア科の患者さんの緊急入院ができないのなら、すでにどこかには避難できている「予定」の入院を少しだけまっていただけないか…と考えるのは自分の我儘なのだろうか・・・



2024年度の体制

昨年度、緩和ケア科は常勤3人体制での運営でした。毎年横浜市大麻酔科から派遣される医師が、高田から松田に交代、国際医療福祉大学三田病院麻酔科から半年交代で井合・岩切が着任しましたが、2024年度は松田が継続勤務、新しく救急医療専門医の三股が9月までの予定で着任
非常勤医師として以前常勤で勤務していた高橋さおり、横浜市大産婦人科所属で将来緩和ケア医を目指す山口、さらに済生会東部病院の緩和ケア科部長の戸田が勤務することになりました
山口は火曜、
戸田が水曜
髙橋さおりは木曜勤務になります。
また、従来から勤務している精神科の政岡も水曜に継続勤務となり、新たな体制で運営しています。
ただ、常勤の三股は10月から不在になり、非常勤医のサポートはあるものの、常勤2名体制はかなり厳しい状況になります!
私はフル勤務、毎週土曜に当直、明けて日曜午前は回診を終えて帰宅という、この年齢にしてみればかなりハードワークですが、パフォーマンスを落とすことはできず、老体に鞭打って働いています。
今まで、まだ数の少ない緩和ケア専門医を4名育ててきましたが、多くが在宅医へと転身するため、なかなかバトンタッチができない状況が続いています。
先日の読売新聞の調査では、平和病院緩和ケア外来に新規に紹介される患者数が
全国1位であることがわかり、自分でも驚いていますが、それだけ多くの施設からご紹介を受けている以上、、信頼に答えるためには、それにこたえる人材の確保と教育が必要で、もう少し人が増えたらもっとやりたいことも多く、対応力も増やすことが出来るのに…とはいつも思っています。
ただ、来年度はまた派遣が増える可能性もあり、常勤希望の話も出ていることから、慌てて動くことなく今年度、特に後半の厳しい状況を乗り切ろうと思っています。それには自分の体力、気力の維持も重要で、適度に歌やガーデニングで息抜きしながら頑張ります。



2023年度の体制

この2年間、緩和ケア科の体制は、自分と高田医師の常勤2名で行ってきた。
その前は現在常勤の高田医師が非常勤で週1回勤務、そのほか川田医師、高橋さおり医師が常勤で勤務していたため、
業務も余裕をもって対応できていた。
高田の、この2年間での成長は目覚ましいものがあり、無事専門医試験にも合格、
どこに行っても恥ずかしくない緩和ケア医に成長した。
平和病院の緩和ケアマインドを身に着け、新年度には大学に戻り、
緩和ケアチームの中心メンバーとして活躍することになっている。
交代で、横浜市大麻酔科から古賀医師が着任、
引継ぎ期間の2か月は高田医師は残留で引継ぎを行ってくれることになっている。
このほか、国際医療福祉大学麻酔科の医師(前期:森上医師・後期岩切医師)が半年交代緩和ケアを学ぶために勤務することになった。
さらに以前勤務していた高橋さおり医師が非常勤で戻ってきてくれることになり、
近隣の緩和ケア病棟の責任者として勤務していた戸田医師がサポートしてくれることになり
横浜市大産婦人科大学院勤務の山口医師も、緩和ケアを学びに週1回勤務の予定になっている。
ただ、古賀・森上・山口は医師としての経験は十分だが、緩和ケア医としての業務経験は多くないため、
しばらくは単独で動くというわけにもいかない。
実務と教育は、学会の認定研修施設である以上こなすことが求められ、
さらに済生会東部病院、聖隷横浜病院の研修医、
横浜市大の医学部学生の受入れも行っているので、人数が増えた分、慣れるまでは楽になるかといえばそうでもない。
ただ、常勤2名の体制で縮小せざるを得なかった外来・訪問診療の再構求められ、
新年度からは外来のコマ数の増加、訪問診療の対応範囲拡大、件数の増加を目指している。
さらに、来年度、以前からめざしている「在宅ホスピス」の建設が軌道に乗ってくれば、
この人数がフルに働いても、業務がこなしきれなくなる可能性もある。
4月からどうなるのか・・・
新たな平和病院緩和ケア科がどう変わっていくのか、今からワクワクしている!
自分も、もう70歳になってしまっているので、早く安心して後を託せる緩和ケア医にバトンタッチすることが求められる。

新しい平和病院緩和ケア科にご期待いただきたい!
(2023年2月19日)



「庭園」になってきた

緩和ケア病棟のある5階の屋上には庭園と呼ばれるものがあった。
五月とグランドカバーの植物が植わっていたが、
10年間とくに手を入れるわけではなかったので伸び放題
5月には確かに花は咲くものの、それ以外は季節の移り変わりを感じる花はなく、何とかしようとは思っていたが・・・
なかなか自分一人ではどうすることもできず、悶々とする日が続いていたが、ついに耐え切れずに行動開始!
医事課・施設課・外来・病棟・、栄養課・薬局などの応援スタッフが名乗り出てくれたおかげで五月を大部分移植
出来上がったスペースは、もう土がやせており、耕したり、肥料をあたえたり、コツコツと材料や植物を購入
(病院の予算がつかないのですべて自前・・)いろいろな花が楽しめるようになってきた
レモンやブルーベリー、ゆず、ピーマンやトマト、ナスなどの野菜、パセリ、しそ、ハーブ、クリスマスロー、富士桜などなど・・
今年の夏の猛暑には水やりも病棟や外来看護士さんたちが協力してくれやっと涼しくなって落ち着くを取り戻してきた
もうすこしでイチゴの苗やチューリップの球根、ビオラの苗が届くことになっている
最近では患者さんが屋上に出てくることも多くなった気がする!
春にはたくさんの花が咲き、患者さんやご家族、そしてスタッフたちの癒しの場所になるように・・・
(2022年10月16日)



チラシ

平和病院緩和ケア科では毎年600名程度の患者さんが新しく紹介されてくるが、
多くの患者さん・ご家族が初めて緩和ケア外来のドアを開けるとき、複雑な顔をしてはいってくる。
治療を頑張っているのに何で緩和ケア科になんか紹介されてしまったんだろう
もう自分の状態はかなり悪いんだろうか
主治医に見捨てられた・・・などなど
「緩和ケア」という響きは正しくまだまだ認知されておらず、「診断が付いた時から」ということが言われてはいても、
まだまだ治療が終わってから提供されるもの、終末期の医療,お看取りのケアといったイメージが根強く,そもそも緩和ケアとは・・・というところから話していく必要がある!
このため、ようやく緩和ケア科に紹介されてきた患者さん・ご家族向けのパンフレットを作成、外来のスタッフの協力で、素敵なレイアウトになった。以前から講演や研修で使用してきたスライドも盛り込んで、緩和ケアを正しく知っていただける内容になっている。
患者さんを紹介していただくがん治療病院の連携室、患者相談窓口に送らせていただき、当院への紹介の際に利用していただこうかとも思っている。
鶴見区医師会在宅部門とのコラボで作成された緩和ケアの誤解を解くための動画配信も始まっている
コロナの時代、対面での研修や講演ができにくくなっている今。少しでも緩和ケアの啓蒙に役立ってくれればいいと思っている。表紙のイラストは、Happy Time のファーストアルバムのジャケットイラストをそのまま使用した。
(最期のページにはCDの宣伝も!)

少しでも多くの患者さん・ご家族のめにとまってくれれば!(2021年6月25日)



旅立ちの時

この3月で、5年勤務した川田と3年勤務した髙橋さおりが平和病院緩和ケア科を去ることになった
5年前、その前の何か月間たったひとりで緩和ケア科を切り盛りしなくてはならなくなり、100日近く全く休みなしで連続勤務を行っていた時
今は横須賀共済病院で活躍している森田君と川田君が就職し、一気に3人になった
その後は横浜市大麻酔科から医局員の派遣を受け、最大で常勤4名までスタッフが増えた。
医局からの派遣を受け、入れ替わりはあったが3年前からは入れ替わりなく体制を維持していた。
どこの緩和ケア科の施設も常勤医師が足りなくて苦労をしている中で、恵まれた環境で業務を行え、
訪問診療をはじめとした業務の幅も広がりを見せていたが・・・
川田君は在宅療養支援診療所での勤務を希望、髙橋さおりは医局人事で、新しくできた聖隷横浜病院の緩和ケア病棟に移動になった。このため病棟業務、外来業務は減らすことができないため、この数年幅を広げていた訪問診療は縮小せざるを得なくなった


医局からは非常勤として週1回勤務していた高田君が4月から常勤になり、6年ぶりに常勤2名だけで運営していかなくてはならくなり・・・私は毎週土曜日に当直を行い、日曜の病棟業務をしてから帰宅するため、金曜日は休んでいたが、高田君が慣れるまではサポートが必要であり、今のところ4月は全く休まず勤務している。以前、同じようなことをして心臓にステントを入れる羽目になっている。以前より年を取ったせいで、若いつもりでいても体力は確実に低下しているので無理はできない(といってもワーカホリックなので、この状況は、『ああ…なんて忙しい‥』といいながら恍惚としている!?)
人数が単純に少ないとそれだけ業務量は多くなる。
あらためて川田と髙橋さおりがしっかり働いてくれていたことを思い知らされながら仕事をしている。
幸い高田君は救急部勤務も経験しており,全身管理はすぐれているし、人柄もいい、緩和ケアの仕事がしたくての平和病院への異動だ、慣れてくれば立派な緩和ケア医に育っていくだろう・・・
ただ、このようなことの繰り返しでは平和病院緩和ケア科を私に代わって長く支えてくれる医師が何時までたっても育たない。
医局人事を離れて就職してくれる医師あるいは外部から常勤医師を雇用することが必要になっている。
実際、外部業者に依頼はしているが、時々応募はあるものの、これといった熱意が感じられず、面接にも至らない!

自分が何時まで働けるかはわからないが、現在の契約は70歳まで、あと2年を切っている
その際は病院の経営陣がどのように考えるかにもよるが・・「ご苦労様でした」と言われ、平和病院を離れる時が来る可能性もある・・・
自分が立ち上げ、地域に定着した平和病院緩和ケア科への愛着は大きく、さらに発展させていきたいし、自分がかかわれなくなった時の体制作りもこれからの大きな役割になっていく・・・

旅立ちのとき、3人で取った記念写真、ふたりともどこに出ても恥ずかしくない緩和ケア医に育ったと思っている
これからの活躍と、またさらに成長して戻ってきてくれることを願っている。
(2021年4月18日)




機能は維持できるのか?

私が緩和ケア科を立ち上げる前からずっと目指してきたこと、言い続けてきたことは「がん難民ゼロを目指す」ということだった
いったん平和病院緩和ケア科に紹介された患者さんは、外来通院中でも訪問診療対応中でも、入院が必要になった場合には24時間365日絶対に受け入れることを頑なに守ろうとしてきた
実際10年以上このことは守り続けてきたという自負もあり、地域の中で平和病院緩和ケア科の取り組み認知されてきた

コロナの感染が爆発的な広がりを見せる中、何とか耐えてきた平和病院でも、ぽつぽつと感染陽性の患者さんがみられるようになり、院内感染の広がりは何とか防げているものの、救急で搬送される患者さんはPCR検査を行わなければならず、結果は2日後、その間は「感染している」とみなした対応が必要になり。個室隔離、面会制限・・・
その間に患者さんの状態は急激に状態が悪化し、お別れになってしまうケースも多く、
感染の結果が判明するまではその病室は使用できず・・・

さらにスタッフの家族やスタッフが感染する場合もあり、他のスタッフや、かかわった患者さんもPCR検査を行わざるを得ず
結果が出るまでは新規患者さんの病棟への受入れも行えず、
これが複数の病棟になった場合は、病院全体として入院を受け入れすることができなくなる

緩和ケア科の患者さんの急な状態悪化の場合や、他の病院に入院中で一刻も早く転院が求められる患者さんもいる
実際年末には外来患者さんからの入院希望があったが、感染疑いのスタッフが出て
感染結果が出るまでの2日間すべての入院を受けられない状況になった
さいわい受入れ制限が解除になった日に入院していただいたが・・・
かなり厳しい状況で、次の日にはお別れになってしまった。

緩和ケア科で、どうしても自分たちがかかわらなければいけない場合、他院対応が困難な場合には、
患者さん、ご家族に院内の感染対応状況をお伝えし、スタッフも患者さんも完全防御態勢をとったうえで
例外的に受け入れる対応はとれるようにしたが、感染の危険性がゼロではない場合・・・
他の病院への入院をお願いするケースも出るかもしれない
今まで守り続けてきた緩和ケア科の理念、ポリシーが崩れてしまう可能性が出てきている

何とかここで踏ん張れるか、毎日ぎりぎりの対応が続いている
自分にとってもほかのスタッフにとっても可なりのストレスのかかる毎日になってしまっている

新しい年、4月からは医局ン人事の影響で常勤医師の減員が決まった
5年前の3か月、たった一人になったあと、常勤医が入れ替わりはあったものの徐々に増えてきたが、
また自分を含め2名になってしまう
一人になったときも、かろうじてパフォーマンスは落とさなかったが、さすがに体を壊した
もう5年も前だ、自分の体力も当時と違い落ちている
厳しい状況になると意地でも実績は落とさないよう、アドレナリンを全放出することは、良くも悪くも自分の仕事に対する向き合い方だから・・・何とかなる、何とかするとは思う一面、厳しい生活、時間の使い方を意識せざるをえない

平和病院緩和ケア科の、自分のポリシーは守れるのか・・・
(2021年1月1日)



自粛じゃないの?

毎年クリスマスのころには病棟のホールに患者さんやご家族が集まり
スタッフの歌や演奏を聴いていただいたり、一緒に歌ったりして過ごすささやかなクリスマス会が開催されていたが・・・
さすがにコロナの影響で面会制限もしているさなかにそんなこともできず・・・飾りつけもささやかにしていた
外来が終わったころ病棟から電話があり、スタッフがそれぞれの部屋を訪問して回る…とのことで、呼び出しがあった
せめて雰囲気を出そうとのことになり…自粛の中、結局は『かぶり物』をして病室を回ることになった!
緩和ケア病棟が開催されて以来、毎年自腹でコツコツと集めたコスプレ衣装もずいぶんたまった
まあ、好きだからやるのかどうかはともかくとして、やはり緩和ケア病棟にとって
季節の行事は欠かせない。
患者さんにとっては、最期のクリスマスになるかもしれないし・・・
一緒にスタッフと写った写真は、もしかしたらその人が生まれてから何枚も何枚も写ってきた写真の最期の1枚になるかもしれないのだ
つらそうな顔をしていた患者さんが、一瞬笑顔を見せるとき、やっぱりやってよかったと思える
患者さんたちの部屋には一緒に映った写真がカードになって飾られる

クリスマスが終わると、今年も残り少なくなったことを感じる
29日で通常勤務は終わり、1月5日の業務開始までは通常業務はないが・・・
緩和ケア科は交代で毎日誰かが勤務することになっている。
コロナの感染が爆発的に広がってきている中でも、緩和ケア科の患者さんの緊急入院は
今年もかなり多くなるだろう
通常のようには検査体制が整っていない時期の緊急入院は,陽性患者さんが入り込む可能性も高く・・・
検査を実施して結果がわかるまでは陽性とみなした完全隔離での対応を余儀なくされる
我々スタッフにとっても正月どころではない、気の休まることのない状況で対応しなくてはならない
もうすぐ新しい年、今年は激動の年になった
来年は少しでも穏やかな日々が戻り、、たくさんの人たちとクリスマス会ができることを願っている

(2020年12月27日)



グリーフケア公開講座

10月29日午後7時から南区のグリーフケア講習会の講師を依頼されている
3月に予定されていたのだが、コロナの影響で中止になっていた

鶴見区では以前から「支え合う遺族の会」として「ハナミズキの会」を医師会と平和病院緩和ケア科が協力して行ってきた
3月は、ほかの講師の先生の話がメインで、私はその紹介のみの予定だったのだが、
今回は単独の講演となったため・・・
『緩和ケア医からみたグリーフケア~いつ・誰が・どこで行うのか~』
の演題でお話させていただくことになった
会場での参加は感染対策上、制限されて10名程度、Zoom配信も行われ、その後は編集されて
ユーチューブで横浜市のHPの中で公開されるとのことになっており、けっこう気合が入る
ただ・・・グリーフケアにかかわってはいるが、自分はそれが専門というわけではない
緩和ケアは病気との闘いの早い時期からかかるべきであり、患者さんばかりではなくご家族にも焦点を当てなければならないことは緩和ケアを提供する基本となる。

大切な人をなくされたご家族の感じる悲しみは,病気が発見されてからずっと続くものであり
その意味では緩和ケア医や緩和ケアスタッフのすべての行為、態度はお別れの後の悲嘆に大きな影響を与えると思っている
さらに、病気にかかる前にはその人、その家族の生まれてから出会い、結ばれ・・・長い人生があり、
そのすべての毎日が奇跡的に積み重なっての今があるわけで・・・
その何げない日々が大切な人との別れの後の想いを形づくっていくと思っている・・・

今回の講演ではそんな思いが伝わればいいと思っている
また会場ではギターを持参して、グリーフケアにも通じる「キセキ」という自作の歌も歌わせていただく予定になっている

ご興味がある方は、ぜひチェックしていただきたい
(2020年10月23日)



病床稼働率

平和病院の緩和ケア病棟は16床で運営されている
ただし、緩和ケア科の入院患者さんは常に16人以上いて、多い時には30人を超える
これは平和病院緩和ケア病棟がいわゆる「ホスピス」として運営されているのではなく
通常の診療科と同様、外来診療を行い(実は緩和ケア科が通常の外来診療を行うところは多くない)
外来診療を受ける患者さんは抗がん剤治療を受けている患者さんも多く、初診から何年も通院している患者さんも多い

実際、旧病院の時代、緩和ケア科が独立した時から通院継続している患者さんも何人もいる
通院中の患者さんの状態が悪化した場合、訪問診療中や連携の先生方のバックアップ中の患者さんが状態悪化した時などの
緊急入院は100%の受入れをお約束しているので
75%以上が緊急入院であり、平和病院に搬送される救急車の70%以上が緩和ケア科の患者さんという
特殊な(我々にとっては日常ではあるが)状況で運営している。

緩和ケア病棟は夜勤の看護師が2名体制であるため、夜間の緊急入院には対応できず、一般病棟で対応しており
緩和ケア病棟への入院は一般病棟からの転院、日中の予定入院がほとんどで、
いったん空床が出てもすぐには移動や入院ができず
全体の患者さんの数は16名以上であっても、なかなか満床にはならないという状況にあった

平和病院は東芝の元を離れ、投資ファンドが母体の「地域ヘルスケア連携基盤」が運営することになり、
「平和病院」という名称は変わらないが経営に関する取り組みは、より厳格になっている
もちろん病院は利益を生まなければ淘汰されるだけであり、地域に必要な医療を提供できなくなる
緩和ケア病棟を常に満床でKEEPすることは運営の目標に設定され
患者さんの受入れ方針も微妙に変化している

緩和ケア病棟も空床がある場合は緊急入院を受け入れることも多くなり、
一般病棟から、かなり状態の悪化した患者さんでも転棟することも増え
長期に緩和ケア病棟で入院する患者さんがへってきている印象がある(平均在院日数は14日程度になっている)

もちろん、最近は在宅医療にも力を入れているので、ぎりぎりまで在宅で過ごすサポートが増えてきていることもある
ただ、緩和ケア病棟のスタッフからすると、「かかわる時間が短い」ことは
いわゆるホスピスイメーの「緩和ケア」を目して入職した看護師からすれば
「何か違う」と思うことも多くなっているかもしれない・・・

病院の方針を受け入れ、患者さんを受け入れるスタッフのおかげで、緩和ケア病棟の利用率は98%程度にまで増えた
もちろん、これは、緊急入院をおもに受け入れてくれている一般病棟の看護スタッフの努力、サポートもあってのことだ

平和病院緩和ケア科は緩和ケア病棟だけで成り立っているのではない
もちろんそれは大きなウェイトを占めているのは事実であり
その質は、どこに出しても恥ずかしくないと自負しているが、
一般病棟、外来などの看護スタッフ、それ以外の多職種の協働により、総合的な緩和ケアを提供できる体制が整っている
ここまで来るには10年以上の年月を要し、これからも時代に合わせ進化を続けていくだろう

自分はあと何年かかわることができるかはわからないが・・・目指してきた姿にはだいぶ近づいてきた
育っていく子供を見るように、これからもかかわっていければ・・・と思う(2020年8月2日)




面会制限

コロナ感染の影響で、どの医療施設もかなり神経を使っている
5月末現在、感染者の数は減少傾向にあり、緊急事態宣言も解除されたものの、
いまだに治療法がないことには変わりなく、ワクチンもできていない現状ではどこから入り込むかもわからず
院内感染」が発生すれば、その社会的責任もあり、病院の機能はマヒしてしまう

すこし前にも書いたが(緩和ケア病棟は特別?)、平和病院でも原則面会はお断りしており、
どうしても病状の変化に対する説明が必要な場合、あるいは手術患者の家族に対しては来院はしていただくが・・・
スタッフとの面談であり、患者への面会はできないことになっている

緩和ケア科の患者に関しても同様で、いったん入院すると原則面会はできない
残された時間が短く、お別れの時が近い場合もあり、最期の大切な時間を一緒に過ごせない苦痛は、
患者さんにとってもご家族にとっても大きいものがある。

このため、状態が悪化しても入院せずに在宅で最期まで過ごしたいと考えるケースも増えており、
その分在宅のスタッフの負担も大きくなる
実際に先日も在宅でのお看取りを行ったが、患者さんは多くのご家族に見守られ、最期の時を過ごせた
今までは面会の制限はなく、病院にいても多くの家族、、友人、ペットまでも緩和ケア病棟では会うことができた

確かに狭い部屋で多くの家族が集まるのであるから、いわゆる「3密状態」は間違いなく、
この状態が病院の部屋で行われるとなれば、中に一人でも感染者がいればあっという間に広がることは予想される

緩和ケアにかかわるスタッフの中も、感染が広がり始めるころは最期の時を迎えるのに面会を制限することに関して
否定的な考えが圧倒的でありまた、実際に来院した家族に、そのまま帰ってもらうことや
その説明にかなりの労力とストレスを感じていた

世の中に感染が広がり、緊急事態宣言が出てからは病院としての統一した方針が出たために、
病院の規則で」とのお墨付きができたが、やはりこれでいいのかとの気持ちも残る

結局,緩和ケア病棟だけは感染対策を守っていただき、通常は面会1名のみ、
お看取りの際はあらかじめ登録していただいた4名までは入室を許可し
(根拠はないが、ある程度制限しないと無法地帯になってしまう・・・)
ただし病棟ヘは通常のエレベーターも使用せずに別ルートで来院していただくことになり、現在も継続している

緩和ケア科の患者は一般病棟にも入院しており、その場合は、最期の時のみは個室利用に限って入室していただくことにしている

この、ローカルルールは感染対策上からすれば「甘い!」とおしかりを受けるかもしれないし、院内感染にほころびが出るとすればおそらく緩和ケア科関連から…ということになるかもしれない
緊急入院の場合は必ずCT撮影を行い、疑われる病状が否定されるまでは、必ず個室利用としているが・・・
緩和ケア科の入院が必要な患者さんは発熱、呼吸困難、肺炎像などはない方が少ないくらいだ!

先日は緊急入院患者のCT画像が感染疑いとの放射線科の読影医師からの報告もあり、
濃厚接触の基準でかかわっていた訪問看護師と担当した外来看護師、病棟看護師が急遽自宅待機となったが、
幸いにもPCR検査は陰性で事なきを得たことがあった
そのことがあった以降は、読影結果(放射線科の医師は非常勤で週2回来院する)が出るまでは我々がOKといっても(信用されていないのか?)大部屋への解除になっていない!

多くの緩和ケア病棟は平和病院より厳しい面会制限を行っているようで、永寿総合病院の廣橋先生がクラウドファンディングで
緩和ケア病棟にオンライン面会を可能にするタブレットを送る」というものを企画され、あっという間に目標額に達し、現在も継続されている。私も賛同して寄付をしたが・・・
平和病院の現状では一人は面会(付き添いも)できる体制にしているので、
最期の時しか会えない‥という事態にはなっていない
取りあえずは6月中は現在の体制を維持する方針になっているが・・
コロナはお看取りのあり様まで変えてしまっている
今後どうなっていくかはまだ見通せないが、1日も早く元の状況に近づけるけることを望んでいる
ただ…このトラウマは深く残っていくと思われ、面会に対する警戒感は並大抵のことでは払拭されないようにも思う

最期の場所が問題ではない・・・その時まで誰とどのように生きていくか、生きてきたかが問題・・・とは緩和ケアの講演などで
繰り返し伝えてきたことではあるが
あらためてその思いを強くしている
(2020年5月31日)




乾杯

平和病院緩和ケア科の特徴のひとつは、ほかの診療科と同様に外来診療を行っていることだと考えている
がんの治療中でもつらい症状は出てくることも多いので
その症状を緩和していくことで、いい状態で治療を継続していくサポートを行うことが大切な役割だと思っている
このため何年も緩和ケア科外来を通院する患者さんも多く、旧病院の時から通院を続けている患者さんも多い
Mさんもそんな患者さんの一人で、もう5年以上前から緩和ケア科の外来通院していた

しかし徐々に病状は進行し、このまま通院していてもいざ入院になった場合、コロナ騒ぎの影響で面会が大きく制限されていることもあり・・・
在宅療養を決意し、連携の訪問診療の先生のもとで療養を継続することになったが・・・

症状コントロールがうまくいかず、入院要請があり
腹水の貯留・疼痛の増強での緊急入院のため,一般病棟からの入院になった
病状の厳しいことは理解されて、ご自分でも今回はそのまま退院はできないと考え
自宅の持ち物を整理し、人生最期に私と乾杯するためのシャンパンを持参しての入院だった

ただ・・・一般病棟では、もちろんアルコールは禁止なので飲むわけにもいかず、(体調も悪かったのでお酒を飲むような状況でもなかった)そのままになっていた
腹水の除去、疼痛コントロールを行ったところ・・・
状態は見違えるように改善、空きを待って緩和ケア病棟へと転棟、療養を継続することになった

その後も症状は安定していたので、Mさんからも退院の希望も聴かれるようになってきた
「退院したくなったけど、。もう最期だと思って、持ち物みんな処分しちゃったんですよね
・・・どうしましょう」
と、苦笑いしていたが、結局「皆さんにまた時間をいただけた」と、
自宅への退院を決めた(覚悟して処分してしまった服などを買い直して!)

退院の二日前・・・「せっかく持ってきたんだから、シャンパン、退院祝いに飲んじゃいましょうよ!」とのことで・・・
「次の時はほんとに最期だろうから、もっといいシャンパン持ってきますね!」
と・・・勤務の終わった夕方、病室でささやかな退院祝い??(緩和ケア病棟ではアルコールOKにしているので)

コロナ騒ぎで気の重くなる毎日・・・
チョッピリ穏やかな気持ちにさせていただいた・・・宮内庁ご用達のシャンパン・・・おいしかった!

Mさん退院おめでとう

また外来で会いましょうね!(2020年4月29日)



緩和ケア病棟は特別?

コロナウィルスが猛威を振るっている
診療圏内のショッピングモールのスポーツジムでも感染者が確認され、濃厚接触者は1400人を超えているらしい!
病院のスタッフが使用するマスクさえ手に入りにくくなり、各自1勤務当たり2枚までと制限がかかった
面会の制限も厳しくなり、療養病棟、一般病棟は特別の事情がない限り面会は禁止になった

ただ・・・
緩和ケア科の患者さんは状態が悪い場合も多く、お別れの時が近い場合も多い
通常は「会わせておきたい方がいれば早めに連絡を・・・」と告げて
ぞろぞろと遠くの親戚が面会にやってくることもある
緩和ケア病棟といっても平和病院の中の一つの病棟であり、基本的に特別扱いをして面会フリーにすれば
感染対策という観点からすれば、全くの片手落ちになってしまう

ただ・・・
もし自分の身内がもうすぐお別れだというのに、会うこともできないという状態は
考えてみれば異常といえば異常で、お別れした後の悲嘆が増すことだって考えられる!
スタッフは家族の想いと病院の規則の間で難しい判断に迫られる

会わせてあげたい…でも感染のことを考えると・・・
会わせるとしたら、どこまでの範囲を許可して誰をシャットアウトするのか・・・
同居の家族のみ…としても
同居でなくても、その人にとっては近しい場合だってあるだろうし、
親族とすれば、内縁関係の場合はどうなんだとか・・・
人間関係は患者さんの数だけ異なっているのでどんなに明確な基準を設けても
スタッフにも、家族にも悔いが残るかもしれない

患者さんの中には今入院したら、家族に会えないままの最期になると考え、在宅での看取りに切り替える方さえいる
一般のエレベーターを使用せず職員用のものを使用してもらうなどの通知は出しても、
結局いつもの入り口から入ってくる家族も多い
なし崩し的にガチガチの面会禁止は守られなくなっている

せっかく遠くから来た親族を「面会できませんと」むげに追い返すのも気持ちのいいものではない
さらに緩和ケア科の入院患者さんは、緩和ケア病棟にいるだけではなく、
一般病棟・療養病棟など全ての病室に入院している
一般病棟は他科との混合なので、「あの患者の家族だけが面会ができるのはおかしい」という苦情は当然出る
一般病棟でのお看取りの場合のみは個室に移動し、最期の時の面会は緩くせざるを得ない
面会の条件が緩いなら一刻も早く緩和ケア病棟に移動したいとの希望も出てくる・・・
公に「緩和ケア病棟は面会ができます」というわけにもいかない
情けと規則のせめぎ合いはまだ続きそうだ!
(2020年3月15日)



講演相次いで中止!

以前から、緩和ケアに関してのいろいろな講演を依頼されて、医療関係者、患者さん、ご家族などに
話をさせてもらう機会がある。
先日は2月に神奈川 Breast Care Nursing 研究会があった。
土曜の午後だったため、当直の留守番を外科のF先生にお願いして出かけた。
最近は講演の時には許可をいただけた場合は、メッセージソングとして、
自作の歌「小さな花」を歌わせてもらうことにしている
まさに「歌の押し売り」状態なのだが、幸いなことに、評判は悪くない!(と思っている)
1時間の講演の最後に、スライドで歌詞を映して歌わせてもらった。
そのあとにも・・・
3月8日には済生会横浜市東部病院の市民公開講座で、地域における緩和ケアの連携について
3月11日には南区の市民公開講座で、鶴見区のグリーフケアの取り組みについて話す機会もあったのだが・・・
新型コロナウィルス感染対策の取り組みとして、いろいろな講演やイベントが軒並み中止になり
二つとも中止になってしまった
また、ささえ合う遺族の会「ハナミズキの会」で企画していた講演会も中止
在宅ケアスタッフ向け緩和ケアスキルアップ研修会の最終回、事例検討も中止、
こちらは来年度からの中級編の最終回と合わせて行うことになった
今のところ、いつまでこのような事態が収まるのかもわからず、予定していた日程も空いてしまった。
まあ、最近はボイストレーニングだサックスのレッスンだ、バンドの曲作りでスタジオにいたり・・・
本業以外でなんだかんだと時間はつぶれてしまう!
本業といえば・・・
最近は緊急入院が多く、緩和ケア病棟は連日満床、一般病棟にはそれ以上の患者さんが入院しており、
直近では37名まで入院患者さんが増え、かなり忙しくなっている。
若い二人の常勤医がフル活動してくれており、自分も病院の管理業務からは離れているとはいえ、それなりに忙しい
実務はもちろん基本だが、緩和ケアの啓蒙活動はとても大切だと思っており、この騒ぎが早く収まってくれることを願うばかりだ

(2020年2月21日)



明けましておめでとうございます!

新しい年が始まりました
昨年は病院の出資者が変わり、大学からの派遣がなくなる可能性もあり
緩和ケア科そのものの維持が困難になるかもしれない危機的な状況に陥り、
関連スタッフには最悪の場合、病棟閉鎖の可能性も含めて説明、
対応策の模索を行っていましたが、年末の土壇場で来年度からの医師派遣継続、
病院譲渡先も、平和病院の名称および機能維持を保証することを条件に決定され
何とか現状の機能を維持できることになりました。
今後は新たな経営スタッフとともに、緩和ケア科のさらなる可能性を実現できるように・・・夢は膨らんでいきます。
緩和ケア病棟ができて初めての正月、写真の親子獅子を飾りました。
夜中に突然おはやしの音がなりだしてたりして、スピーカーがテープで蓋されちゃったり・・・
認知症の進んだ患者さんがデイルームでず~~っと抱き締めながら話しかけてたり・・・
いろいろな思い出がよみがえってきますが、今年倉庫から出したとき、親獅子が動作不良で、腰が伸びず、
うなだれたままになっており、とても正月のイメージではないため、ついにリタイアかと思いましたが・・・
何とか修理、今年も親子で登場できました!
皆様・・
昨年は本当にお世話になりました
本年も平和病院緩和ケア科は地域の中での緩和ケアの要としての役割を維持し、外来、入院、在宅、教育など様々な機能を駆使し、多くの患者さん、ご家族を支えていけるよう頑張っていきます!

(2020年1月1日)



常勤医師が足りない!

現在、緩和ケア科は常勤医師1名、非常勤医師1名の体制で運営している
横浜市内の緩和ケア科は、どこも常勤医師不足は深刻で、外勤日を利用して非常勤医師を採用し、
「互助会」状態で数少ない緩和ケア科の医師が補完しあっているのが現状だ。
このため、今月には各施設の緩和ケア医が集まり「
緩和ケア医キャリアパス説明会」が開催され、
緩和ケアに興味のある医師に対するリクルート対策が行われることになっている。

このような状況であるのにもかかわらず、緩和ケア病棟は徐々に増えており、さらにその病棟の責任者としての緩和ケア医が必要とされる悪循環に陥っているのが現状だ。
国は緩和ケアの重要性をアピールはしているが、それを担う医師の確保に関しては、現場任せで
手をこまねいていると言わざるを得ない。
このままでは提供される緩和ケアの質の低下を招く可能性もあり、危惧している!
フリーの緩和ケア医は少なく、大学からの派遣は関連病院の事情で左右されてしまう

平和病院で研修を積んだ緩和ケア医は、現在、専門医や認定医資格を取得し大学で中心的な役割をになったり、
診療拠点病院の緩和ケアチームを率いたりして活躍しており
学会の認定研修施設としての役割を果たしていると思ってはいるが・・・
やはり足元が固まらないと、臨床、さらには教育という観点からすれば十分な役割を果たせなくなってしまう。

今回退職する清水医師に関しては、大学の派遣枠以外からの採用で、海外の緩和ケア施設で働く希望をもって、
その前に経験を積む意味での研修を行っていた。
1年間の研修を経て、最近ではかなり実力をつけてきたので、退職は予定されていたこととはいえ残念な思いはもちろん
戦力の痛手になることは否めない状況だ。
日本と海外では緩和ケアへの考えや提供の仕方は異なることも多いと思うが、
平和病院の緩和ケアマインドを基礎に海外で活躍してもらいたいと思っている。
そんなわけで、12月からは常勤医3人体制、さらに来年度は新たに作られる緩和ケア病棟の中心的なスタッフとして、
さらに1名の異動が決まっており、補充の人事はなし。

このため来年の4月からは常勤医2人態勢という極めて厳しい状況になるため、
大学の人事にとらわれない緩和ケア医の採用が急がれる
平和病院緩和ケア科の業務は開設時と比べるとかなり広範になっており、減員に伴う務体制の見直しを考えていく必要がある
業務をできるだけ縮小せず、質も落とさないことを目指せば、おのずと一人の業務負担は増えることになる
定年を超えた自分も一人の戦力として、あるいはそれ以上に働く必要があり、なかなかご隠居になれないのも困ったものだ・・・
まあ、もともとワーコホリック?なので、それなりのアドレナリンは出すとは思うが、体力はさすがに衰えてきているので、
どこまで耐えられるか
逆境になると反発するタイプではあり、4月に向けて徐々にパワーを戻していこうと思っている
最悪の場合は自分一人になる可能性もあったことを考えれば、
川田が大学の意向に従わない方向で残留を希望してくれたことはありがたいし、感謝している
彼には今後緩和ケア科を中心になって率いていってもらいたいと思っているが・・・
負担をかけすぎないように採用活動に全力を挙げ、
10年以上かかって地域の中ではぐくんできた平和病院の緩和ケア科をパワーダウンさせないようにしていこうと思っている

(2019年11月18日)




9日間の花嫁

先日、緩和ケア病棟に入院中の患者さんとパートナーの方の、ささやかな結婚のお祝いがありました
患者さんの息子さんや娘さん、お孫さんなどが結婚されるという話は時々経験していたんですが・・・ご本人というのは自分も経験がありませんでした!
体調が少し安定したとき、パジャマをドレスに着替え、小さなケーキに仲良く入刀
友人のお二人とスタッフだけのささやかなお祝いでした

お二人の照れたような笑顔がとても素敵でしたが・・・

その少し後から患者さんの状態は悪化し、あまりにも短い間でお別れになってしまいました


パートナーの方は「たった9日間の花嫁だったけど、結婚してよかった」と、涙を流しながら患者さんの手を握っていました
患者さんには私たちに出会うまでに、それぞれの人生があり、そのすべてを私たちが知ることはできません
でも、人生の中の大切な節目にかかわるとき、私たちは、ほんの一瞬でも一緒に喜んだり、悲しんだりできれば・・・といつも思っています
(2019年10月22日)



増える鬼!

節分の前の日、病棟の豆まきが行われました
今年の鬼は4匹
何年か前、鬼が一人で病室をまわったのに・・・
増殖?には感慨深いものがあります

節分のコスチュームといえば、どうしても「鬼」になってしまい、
新しいコスプレというわけにもいかず、最近は赤鬼になったり、
青鬼になったりでしたが・・・
患者さんやご家族の笑顔が何よりの励みになります!

体系が崩れてきた成果、赤鬼のおなか周りのたるみが気になり、ずっと腹を引っ込めながら歩いたので余計な体力を使いましたが、病棟スタッフも加わって、にぎやかな豆まきになりました!(H31年2月11日)



明けましておめでとうございます


平成31年、新しい年を迎えました
昨年のクリスマス会が12月25日にあったので、
病棟の雰囲気もバタバタと正月モードに切り替えましたが、この親子獅子もだいぶベテランになってきました

通常業務は29日まで、新年は5日からスタートですが、
緩和ケア科の医師は毎日出勤です
現在は常勤医師4人の体制なので、以前のように、自分が毎日出勤することもなくなり、12月29日の当直、1月4日の出番以外は若い先生が引き受けてくれるため
大晦日、三が日はのんびり休みが取れるようになりました

勤務初日の1月5日は当直ですが、ワーコホリックが抜けきれず、連続して勤務しない日が続くと、やはりそわそわしてしまうのが悲し性ですが・・・

今年は、昨年から力を入れてきた訪問診療体制を充実させ、地域における連携を強化していくことを目標にしています
また、研修医の指導、横浜市大医学部6年次の学生実習なども継続し、実地臨床だけでなく、教育、啓もう活動にも力を入れていきます

本年も平和病院緩和支援センターをよろしくお願いいたします。
皆さまにとって良い年になりますように!
(H31年1月1日)



緩和ケア病棟は変わるか?②

平和病院緩和ケア科では、以前から在宅で緩和ケアを提供してくださる診療所の先生方との連携を重要視してきた
アンケート調査への回答をお願いし、緩和ケア科連携診療所として仲間になってくださっている施設は50を超えた
どの先生方も安心して患者さんをお願いできる施設であり、いったんお願いした患者さんに関しては
入院の依頼があった場合は24時間365日確実な受け入れを行っている

ただ、このように緊急で入院の場合は、以前は緩和ケア病棟ではなく一般病棟での受け入れを行ってきた
緩和ケア病棟の入院が、以前は転院依頼が多かったこともある
しかし、今では緩和ケア科入院の8割以上が緊急入院になっている。
これは連携機能が強化され、在宅で緩和ケアを受けている患者さんが多くなったこと
早期からの緩和ケアが地域の中で浸透されてきており、
平和病院緩和ケア科の外来診療機能が強化され、300人近くが「通院」している現状があるからで
ベッドコントロール上でも緩和ケア病棟での緊急対応を行う必要性が出てきたからである

今では毎朝のカンファレンスの時点でその日の緊急対応病床数を把握し、
外来で入院が必要と判断された患者さんが緩和ケア病棟に緊急入院するケースも増えてきた

ただ、これは今回の診療報酬改定での影響ではなく、あくまでも緩和ケア科の自然の流れが、診療報酬で求められる状況を先取りしていたからだと考えている
診療報酬上の基準でカウントされる緩和ケア病棟の待機日数は2~3日であり
在宅復帰率は30%程度になっている
在宅復帰に関しても、復帰率の上昇は、緩和ケア科が今年度から訪問診療機能を強化してきた影響であると考えている
入院していた患者さんが、自宅に帰りたいと希望した場合
病棟で診療していた医師が、そのまま訪問診療を行い、緩和ケア科外来外来看護師とともに自宅を訪れ
入院が必要と判断されたらいつでも入院でき、そこには自宅に来ていた医師が待っている・・・

平和病院の緩和ケア病棟は創設したときに比べかわってきた
ただ、それは診療報酬に誘導されたものではなく、地域の中で必要とされる理想の姿を求めて変わってきた
これからもまだまだやりたいことは残っている
当院のやり方に診療報酬が追い付いてくる…そんな状況を作り続けていきたいものだ
(H30年12月28日)」




緩和ケア病棟は変わるか?①

一口に「緩和ケア病棟」と言っても各施設によってそれぞれの特徴があると思っている

横浜市に関していえばH29年8月の時点で、8施設181床が登録されている

毎年増加傾向にはあるが、横浜市では人口10万人に対し手の病床数は4.9床、全国平均は6.2床であり、
政令都市に限って言えば7.5床なので、横浜市は緩和ケア病棟の整備がまだ進んでいないということになる。

ただ、どれだけの病床数が適切なのかと言えば、よくわからない部分もある
毎年がんで亡くなる方は38万人とも言われており、これに対して緩和ケア病棟で最期の時を迎えるのは3万人にも満たないのが現状でるが、
今は最期まで自宅で過ごす…ということが「いいこと」だと考えられるようになり、これを考えると、緩和ケア病棟の入院の適応
どんな人たちが緩和ケア病棟に入院しているべきなのか」という基準があいまいになってきている感じがする

いわゆるホスピスのようなイメージとするならば、「重い病に侵された人が、最期の時を苦痛から解き放されて、穏やかに過ごすこと」
なのかもしれないし、実際それを目指す施設や、そうなのだと思っている患者さん、ご家族、スタッフも多い。
そうだとすれば、人生の最期を迎える「理想郷」なのかもしれない
だとしたら、最期の時を緩和ケア病棟ですごす人は、「選ばれた患者さん」で緩和ケア病棟は「選ばれた人たちの理想郷」なのだろうか?

平和病院緩和ケア科は以前から緩和ケア病棟は「
緩和ケア科の病棟」とお伝えしている

外科の病棟が外科病棟、内科の病棟が内科病棟と言われるように、緩和ケア科の病棟が「緩和ケア病棟」という考えをしており
特別な病棟とのイメージは持たないようにしている
緩和ケア科では通常の診療科と同じように外来診療も行っているし
確かにお別れをしなくてはいけない場合は多いことは否定しないが
緩和ケア病棟に入ったからと言って、逃げられない病棟、帰れない病棟ではない(まだまだこのイメージは払拭されないが)

H30年度の診療報酬改定が行われ、緩和ケア病棟の入院基本料の設定に変更が行われた
同じ緩和ケア病棟でも入院患者さんによって入院基本料に差がつけられたのだ

緩和ケア病棟に入院している期間の平均日数が14日未満
直近の1年間で緩和ケア病棟から在宅に移行した患者さんが、退院者全体の15%以上であること
さらに、緩和ケア病棟入院決定から実際に入院できるまでの期間も短いほうが高い診療報酬の設定になった

毎回の診療報酬改定で、病院にとって有利な報酬を設定する場合は、厚生労働省の「誘導」とも言われ
こうすれば高い収入が得られますよ、だからみなさんそうなるように頑張りましょう!というメッセージになっている
そしてそのうちに、その基準を満たせていない施設に対しての「減算」、ペナルティーが設定されてくる

今回のメッセージからすれば、「
緩和ケア病棟は必要な患者さんを待たせずにすぐ入院させてあげて
しっかりと苦痛を除去し、早く在宅に復帰させてください!
」ということになる

自分としてはこの基本的な考えには全く異論はなく、平和病院緩和ケア科はもともとそのような運営を行ってきている
病状によって、患者さんやご家族の希望によって、入院、在宅のシームレスな移動が可能で、
どこにいても適切な症状緩和が行われる体制を作ることを目指してきたからだ。

今回の改定によって慌てて何かを変えたりする必要もない
ただ、そのような体制になっていなかった緩和ケア病棟は、方針を変えてくる可能性もある。

いやいや、うちの緩和ケア病棟は、たどりついた患者さんに対して、最高の緩和ケアを提供して、穏やかな時間を過ごしてもらうので、
わざわざ方針を変えて入院の期間や受け入れを変える必要はないし、在院日数をあわてて短くして退院を促すことはしない!
と考える施設も出てくると思われる
その病棟、あるいはその病院の管理者の考えにもよるだろう

前述したように待機期間を短くするには緩和ケア病棟の病床数は圧倒的に少なく、入院期間を短くし、在宅復帰率を上げるためには
在宅に帰った場合の様々な症状緩和が保障されること、サポートを十分にすることが必ず必要になるはずだが。
地域によっては在宅緩和ケアの体制が十分とは言えないところもあるかもしれない(つづく)

(H30年9月2日)



仲間との別れ

先日、緩和ケア病棟で、もと病院スタッフとのお別れがあった

病に侵されてから6年...
長く病気と闘ってきた

2年前に退職したが、その後も治療を続けながら、緩和ケア科の外来に定期的に通院していた

何年か前、新横浜で行われたリレーフォーライフにもサバイバーとして一緒に参加した

残念ながら病気は腹膜播種として広がり、腸閉塞となり、いったんは保存的に軽快したものの再発

緩和ケア病棟に入院し、療養を続けていた

一時は訪問診療、訪問看護を導入し、在宅復帰も目指したが、
本人、ご家族の不安も強く、全身状態が悪化してきたこともあり、実現することはできず、何回か外出を繰り返していた

今思えば最後の外出から帰ってきた翌日、当直明けの回診で部屋を訪ねたときのこと

「久しぶりの家の雰囲気はどうだった?」

「う~ん、すごく良かったあ、やっぱり家はいいなあ、ほら、家の匂いってあるでしょ? 
ちょっと疲れちゃったけど、すっごく楽しかった・・・先生、ほんとにありがとう、ほんとに楽しかったの! また行きたいなあ」

そういった顔は、もうずいぶん痩せてしまって、元気な時のイメージではなくなっていたが・・・
それでも本当に穏やかに、満面の笑みで微笑んでくれて、よほどうれしかったのか、手を差し出した

手を握りながら、何回も、何回も「ありがとう」を繰り返した

いつもとは少し違う雰囲気だったので、そのあともずっと気になっていた

翌日は休日、後輩医師が当番だったので病院には行かず、その次の日の朝、ステーションに入ると・・・

机の上に、記載されていない死亡診断書が置いてあった

「だれ?」

彼女だった

2日前にはあんなに喜んでいたのに・・

お別れはあっけなかった

部屋にはご家族がそろっていた

彼女は静かな顔で目を閉じていた

ご家族も献身的にかかわっていた

病院を退院するとき、ストレッチャーの上には花が置かれていた

病棟スタッフばかりでなく、一緒に働いていた多くの仲間がお別れに立ち会い、お見送りでは涙を流していた

緩和ケア科では多く別れがある

それぞれの患者さんにはそれぞれのご家族がいて、それぞれのかかわりがある

別れの悲しみ、つらさもお別れの数だけある
スタッフには「お看取りに慣れてはいけない」と、いつも言っている

もちろん、ご家族のつらさ、悲しみには及ばないし、感情移入のしすぎも好ましくないのかもしれないが・・

やはり、一緒に働いていた仲間を失うのは…いつもより辛い(H30年6月29日)


よろしくお願いします

この4月から柳泉と交代で、髙橋紗緒梨が横浜市大麻酔科の人事で着任しました

また、常勤内科医師の礒部が木曜日に緩和ケア科に参入してくれる事になりました・・・

川田は3年目を迎え、中心となって平和病院緩和ケア科を支えてくれています

精神科の政岡は非常勤ですが、多くの患者さんに見られる『せん妄』の治療に力を発揮してくれています

髙橋(修)ひとりで始めた緩和ケア科も仲間が増えて、パワーアップしてきました!

ただ、まだまだやりたい事を充実させるには多くの仲間が必要です

学会の認定研修施設として、認定医、専門医資格を目指す緩和ケア医が、一緒に働きたいと思ってくれるように、今後も新しい仲間と研鑽していきたいと思います!

これからも平和病院緩和ケア科をよろしくお願いします(平成30年4月27日)




新しい年が始まりました

今年、緩和ケア病棟を開設以来、初めて満床での年越しになりました
年末年始はスタッフも少ないので、例年ですと、あまりギリギリの受け入れはしない場合も多かったのですが・・・
厳しい状況でのぎりぎりでのご紹介も多く、出勤するスタッフの負担は少し多くなってしまったかもしれません。
何年か前までは、年末年始も自分一人で出勤していたことを考えると、
患者さんやスタッフにとっても、医師の充足は、自分にとってもいいことだと思います。
暮れの30日、31日は自分が出勤
1日、2日は川田が、3日、4日は柳泉が出勤して病棟を守ってくれます。
のんびり3が日を病棟の心配をすることなく
(と言っても、もともとワーコホリックで、どうなっているのか気になって仕方がですが・・・)
自宅に娘夫婦、孫、母が集まりましたが、理事長室の観葉植物の水やりが気になり(という口実で?)
外出がてらこれからちょっと顔を出してこようかな・・・と!
4月には新年度
当院の常勤医師は、現在横浜市大麻酔科の後藤教授の医局から派遣を受けるようになっており、川田は継続勤務
柳泉は医局人事で大学(センター病院)に戻り、交代で、大学麻酔科から高橋が派遣になる予定になっています。
自分は6月に定年を迎えますが、その後の勤務体制はまだ未定です。
軸足を完全に移すことはないと思っていますが、在宅への注力、教育、啓蒙、長い目で見れば、非がん患者さんに対する緩和医療など
また専門医、認定医の育成(自分は暫定指導医ですが、資格そのものが3年でなくなりますので、自分の専門医、認定医取得も含め)も課題にないます。
さいわい柳泉は専門医試験に合格し、県内で8人しかいなかった専門医を増やすことが出来、
日本緩和医療学会認定研修施設、指導医の役割が果たせたのかなと思っています。
地域の中での緩和ケアに注力したい施設への応援、また、外勤が可能になる分(理事長・院長は監査で外勤を禁じられていましたので)
他の施設での非常勤勤務も行い、視野を広げたいとも思いますが、こればかりは「求められなければ、動きようがない」ので、どうなるかはわかりません・・・
とにかく、自分が立ち上げた平和病院緩和ケア科、緩和ケア病棟には愛着がありますから、ますますパワーアップを図りたいと思います。

今年もどうぞよろしくお願いします(平成30年1月3日)



もうクリスマス

しばらく更新しなかったせいで、ハロウィンも終わってしまい、もう12月!
緩和ケア病棟では先日恒例のクリスマス会が開催されました
ハロウィンの時には今年はドラキュラになったのですが、衣装とは別売りの「牙」を購入したまでは良かったものの・・・
それを付ける入れ歯安定剤を当日忘れてしまい・・・
スタッフから「ご飯粒でつくんじゃないですか?」と言われたのを真に受け、
職員食堂からご飯を少しもらい、つけてみたけど・・・
そりゃ付かないよね!
紙じゃないんだから!
途中で取れたまま牙は行方不明になってしまい、歯の抜けたドアキュラという間の抜けた状態になってしまいました・・・

そしてクリスマス!
昨年はサンタのコスチュームだったのですが、ひげがもじゃもじゃ過ぎて誰だかわからない状態となったため、
今年はオーソドックスにスノーマン!
実は孫のオムツが夜に無くなってしまい、慌てて近くのドンキに買いに行ったら
山積みンあっているクリスマスコスチュームを発見!
急きょ購入
今年はスタッフのピアノとギターの演奏で
クリスマスソングを患者さん、ご家族と一緒に歌いました
何時ものように自分もギターの弾き語りを披露・・・
今年は「思い出の景色」と「「小さな花」と「ハッピークリスマス」
「思い出の景色」と「小さな花」は今年作ったオリジナル!
クリスマスソングじゃないけれど・・・
「思い出の景色」は基本的には
ラブソング
参加してくださった患者さん、ご家族には、入院するまでにもたくさん、お互いに大切な想い出が刻まれいて、
お互いを大切に思っている。それでも…
環境が変わったり、病気になったりしたら…そんな大切な人も、時間も無くなってしまうのでは…なんて考えるかもしれない、
でも今までのお互いに過ごしてきた人生や、育んできた想いや、大切な時は、目を閉じれば、
それが変わってしまっても、その時のまま浮かんでくる…といった感じの歌で・・・
「小さな花」は、つらいことがあったり、厳しい環境にいたりすると、誰でも大きな幸せを求めてしまう・・・
そんなつらい時、独りぼっちになってしまったと思うようなときでも・・少し目を開けてすぐそばを見てみたり、
少し手を伸ばせば、みんなが微笑んでくれていたり
小さな花が咲いていたり、今まで気づけなかったような幸せが、ほら、すぐそこに…といった感じの歌で・・・
患者さん、ご家族へのエールとして歌いました!
毎年毎年・・・いろいろな季節の行事が行われています。
その時、その時参加してくださった患者さんには、もう会えなくなってしまっています。
緩和ケア科の宿命なのかもしれないし、私たちスタッフは、患者さん、ご家族が歩んできた長~い人生の
ほんの少しの部分しか係ることが出来ません。
だからこそ、その時を大切にしたいと思います。
クリスマス会が終わると、病棟は、もうすぐ新しい年を迎える準備の雰囲気に変わっていきます。
今年もあと2週間になってしまいました!
来年は自分にとっても「定年という節目を迎えます。
自分で立ち上げたこの緩和ケア病棟が、この先どんなに育っていくのか、もう少し見届けたいと思います!

(平成29年12月15日)



音楽の力と涙

Nさんはもともと施設に入所されていた。
何年か前にS状結腸に病変が見つかり、すでに肝臓には転移が多発している状況での発見だった
しばらくは穏やかに経過していたようだが、突然の腹痛で救急病院に搬送され、腫瘍の部分で腸に穴が開いていた。
既にご高齢でもあり、積極的な治療や高カロリー輸液のご希望なく、症状コントロール目的で紹介された。
状態は急激に悪化することが予想されたので、1週間程度で緩和ケア病棟に転院していただいた。
入院された時には積極的な会話もしんどそうで、眉間にしわを寄せ、つらそうな表情をされていた。
お腹を押さえるとさらに痛そうな表情となり、すぐにオピオイドの持続投与を開始した。
そのせいか、表情は穏やかになり、ご家族も少し安心されたようではあったが、
相変わらず厳しい状況であることは変わりなく、一緒に時間を過ごせる期間は極めて短いことはお伝えした。
ある日の朝、廻診すると、奥様がお部屋におられた。
最近の悩みは、なかなか患者さんや、ご家族と時間を長くとってお話が出来なくなっていることだ。
もちろん、病状の説明や、お家族から求められたときなど、経過の節目では必ず時間をとるが、
昔のこと、趣味のこと、ご家族のかかわりなど、取り留めのないことをゆっくりお話しする時間がなかなか取れない。
勤務の時間は、救急の対応、指示、膨大な書類、診療録記載事項などでつぶされてしまう。
もちろん、平和病院の緩和ケア科が以前から言うように「野戦病院」のように、入院、退院が目まぐるしい状況であるという理由もある。
ただその日はたまたま時間があったので、少しお部屋でお話しした。
ご本人はもう会話もなかなかできない状況だったので、奥様とのお話になった。
昔は海外によくでかけたこと、お二人ともクラシックが好きで家では毎日聴いていたこと
特に小澤征爾が好きで、コンサートに出かけたこと、海外ではオペラなどに出かけて行ったことなど・・・・
Nさんの病室は、静かだった、テレビを見るでもなく…時に聞こえるスタッフの声、奥様の話しかける声くらいだ・・・
「そうですか、そんなにお好きなら、このお部屋にクラシックが流れていれば素敵ですね、
きっと喜ばれるんじゃないでしょうか」
「CD、お気に入りのものがあればかけてみたらどうです?」
「病棟にもクラシックののCDはありますけど、やっぱり、お気に入りのものじゃないと・・・ね!」
「出来ますか? そうですよね、早速家から持ってきます」
翌日の朝の廻診、部屋にはクラシックの音楽が流れていた。
聴こえているのか・・・Nさんとのお別れはすぐそこまで迫っていた
そして次の日、Nさんは旅立ちの日を迎えた。
お別れを告げるために訪室したときにも音楽は流れていた。
「穏やかでした・・音楽を聴いていたからでしょうか、最期は涙がす~っと流れて、そのまま息が止まりました。
きっと、大好きな音楽が聴けて、うれしかったんですね・・・」
奥様が静かに話された
最期の時に患者さんが涙を流すことは多い、
私たちが泣くのとは違うようだが、それを見ているご家族にとって、その涙のとらえ方は様々だ。
苦しかったんだね・・・
やっと楽になってほっとしたんだね・・
○○が出来て、安心したんだね・・・
それは誰にもわからないし、意味がある場合も、無い場合もあるだろう・・・
とり方はそれまでの患者さんの闘病、ご家族のかかわり、お別れに至るまでの我々のかかわり、症状緩和のスキルなどで変わってくるのかもしれない。
Nさんが最期の時に聴いていたクラシックは、廻診の時の何気ない会話がなかったら、流れていなかったかもしれない。
やはり、緩和ケア科にとって、自分にとって、スタッフにとって、ある程度ゆったりとした時間と、何気ない会話の中に隠れているヒントを
敏感にキャッチするアンテナを持たなくてはいけないと想った。
スタッフはまだまだ足りない・・・・
(平成29年3月26日)




増える鬼

今年も2月の定例行事「節分」が行われました。
鬼のコスチュームで病室を回ります
 昨年の今頃は一人で病棟、外来を切り盛りし、
実績を落とさないようにと、休みを全くとらず日曜、祭日関係なく連続勤務をしていました。
やらざるを得ない状況だったのと、もともとワーコホリックなのか、
疲れを感じる暇もなくがむしゃらにやっていましたが、
今年は常勤医師も増え、鬼も4人になりました。
1人は先日から非常勤で勤務してくれている精神科の正岡先生、
もう一人はたまたま緩和ケア病棟の実習に来ていた北里大学薬学部5年生の学生さんです!
この4月からはもう一人、常勤医師が増える予定です
平和病院緩和ケア科もそろそろ世代交代を行わなくてはいけません。
新たに研修施設として若い緩和ケア医を育て、安心してバトンタッチができる体制づくりが、これからの自分の務めだと思います
いつまでもコスプレしてもいられません…といっても、次はお花見…今年は「花咲じじい」になりたいと思う今日この頃です!
(H29年2月12日)



顔が分からん

クリスマスも過ぎてしまいましたが、先日、緩和ケア病棟でもクリスマス会が開かれました。
毎年、トナカイやスノーマン、ツリーの被り物や、トナカイスーツを着ていましたが、今年は原点に帰ろう!というわけで、
サンタクロースコスチュームにしました。よりリアル感を出そうと、髭とヘアーをネットで購入!
サイトの口コミでは、「毛量が少なかった」とか「抜け毛がひどい」などの評判も書いてありましたが、
届いてみると・・・毛の量がムチャクチャ多い!...
しかもつける位置を間違ったのか?「ヒマラヤの雪男」状態で、目の一部しかでないので、誰だかもわからず、
とても「サンタ」という感じではなくなってしまいました。
スタッフのハンドベル演奏やクリスマスソングなどの後、この格好のままギターの弾き語りをしたのはいいのですが、
途中で毛が口の中に入ってくるわ、息がしにくいやらで、今一つとなってしまいました。
会が終わった後は、それぞれの病室を訪ねて患者さんやご家族と一緒に記念写真を撮りましたが、
さすがにヘアは脱ぎ捨て、髭だけにして、誰だかわかるようにしました。
いつもは眠っていることが多い患者さんもしっかり目を開けて下さり・・
「まあ、どちらからいらしてくださったの?」
「えっと…そう、フィンランドから!」(あれ、フィンランドじゃなかったっけ?)
「ずいぶん遠くから来ていただいたのねえ・・ありがとうございます。うれしいわあ!」
とか、言ってくださると、こちらがプレゼントをもらったような感じになりますよね!
今年ももうわずか、病棟も一気にお正月ムードになります。
今年も平和病院緩和ケア科を応援していただき、本当にありがとうございました。
スタッフ一同、力を合わせて多くの患者さん、ご家族とかかわっていきたいと思っています。
これからも私たちのことを応援してくださいね!
(平成29年1月2日)


ハロウィン

今年も緩和ケア病棟ではハロウィンイベントが開催されました。
もう、恒例になり、フェイスブックの平和病院緩和ケア科のページにはすでに投稿してあるので、
ご覧になった方もいるかもしれません
ハロウィンは、だんだん仮装する人も増え、季節の行事としては随分ひろまった印象があります。
この時期が近付くと、スタッフからも、「先生、今年はどんな格好するんですか・・・」などと聞かれるようになっています。

また、フェイスブックの「お友達」からも、楽しみにしています…などといわれると、だいぶプレッシャーにもなっていましたが
根が嫌いじゃないので、ひそかにネット通販のサイトで、めぼしいコスチュームを探していたんですが・・・
どうもピンとくるものがありません。そもそも、ゴーストとか、あまりグロテスクなものは、緩和ケア病棟には似つかわしくないので、
今年は、前に買ったもので済ますか・・といった感じだったのですが、(守りに入ってしまったと反省しています!)
前日にスタッフが「先生、これ・・どうです?」
と、もって来てくれたものが、茶髪のロン毛のかつらと、超ミニのドレス!
「え~~、こんなのきられないよお・・・」とはいったものの、目は釘づけ状態で・・・
結局写真のような有様になりました!
さすがにサイズが合わず、そのままはくと、パンツ丸見え状況で、
背中は大きく割れて露出状態
網タイツ準備はできていなかったので、薄手のタイツ(ヒートテック!)で間に合わせ、
背中(ファスナーが閉められず、超セクシー)も丸出しのため、
他の衣装も黒マントを羽織って間に合わせることになりましたが、

何とか無事にイベントを行うことが出来ました。
以前の写真を見てみましたが・・・変わっているのはスタッフの顔ぶれです!
ずっと写り続けているのは、勤務の都合もありますが、4人だけになってしまっています。
医師も今年は川田がパンプキンタイツで参加してくれましたが、
常勤医師だった加藤、林、非常勤だった櫻井も退職し、何人かの看護師も退職、転職していきました。
それだけ、緩和ケア病棟は、スタッフの心のケアが大切だということも、改めて感じさせられました。
それでも、毎年のことですが、病室に顔を出した時の、患者さん、ご家族の笑顔は本当に素敵で、
季節の行事の大切さ、つらい日常から、ほんの一瞬だけでも解放される時間の大切さを感じさせられます。
もしかしたら、自分にとっても、こんな非日常的なコスチュームを着ることがほっとした瞬間になっているのかも・・・と思ってしまいます。
まさか、下の写真みたいに、こんな格好で毎日仕事するわけにもいきませんけど・・・
来年のハロウィン・・・もう64になってるでしょうから、さすがに自粛が必要かもしれませんが・・・
今のところ、さらにグレードアップで臨みたいと思いますし、これからクリスマスイベントも多くなるので
さらに気合を入れて(もちろん仕事もですけど)全力投球したいと思います!
余談ですけど・・・このかつら、けっこう毛が抜けて、家に帰ってみたら、体に何本か残っていました。
ありえない長さの茶髪を体に着けてたりして、妻に見つかったら、あらぬ疑いをかけられそうなので、慌てて廃棄しました!

(平成28年10月28日)



同志を失う!

先日Kさんが旅立って行かれた
Kさんとはもう20年近くのお付き合いになっていた
自分が平和病院に着任したのは平成3年、その半年前からは非常勤で勤務しており。今の予約外来
(長く私の外科外来に通院していた患者さんを月に1回予約制で診察している)にはその非常勤時代に私が手術をした患者さんも通院しているが、
その方に次いで長い間通院していた。
もともとは乳がんの患者さんで、私が外科医として手術を担当し、その2年後には反対側の乳がんになり、この時も手術を行った。
それ以来、定期的な検査を欠かさず、さいわい再発や転移もなく、経過していた。
自分自身が手術を受けてもう12年になるが、手術後半年くらいの時に、肺に小さな影が見つかった。
ちょうどその時にKさんの肺にも小さな変化が出来た。
外来で、「少し気になる影があるけど・・・転移の可能性はゼロではないので、経過を見て3か月くらいでもう一度調べてみましょう」と話した。
自分の場合もその時はかなり落ち込んで、最悪のことなどいろいろ考えた。
手術を担当してくれた先生からはCTを見て「何ともないといいですね・・」と言われ、自分も3か月後の再検査になっていた。
Kさんに話した時、、実は自分もおんなじような影がみつかって・・・とお話しした。
「お互い今度の検査で何ともないってことになるとイイですね!」と励まし合い、
お互いの再検査もほとんど同じ時期になった。
この時の自分は、家族にも再検査に関しては何も言わなかったぶん、けっこう落ち込んだので、Kさんの気持ちもよ~くわかった。
3か月後、KさんのCTの読影結果は、異常所見は指摘されなかった。
外来受診の日までには自分のCT結果も出て・・・
さいわいにも、影は消えていた。
Kさんの外来受診の日、診察室に入ってきたKさんの顔はこわばっていた
「Kさん、大丈夫だったよ!CTの結果」
それを聞いたKさんは涙を流して喜んだ
「よかったあ・・・もうダメかと思って、今日はお父さん(夫)についてきてもらったの」
「本当によかったですね!(心からそう思った)」
「先生は?どうだったんですか?」
「ああ、私も大丈夫でしたよ!」
「わ~!、よかった」
「この3か月はお互いしんどかったですね」
「本当に…生きてる心地がしなかった」
思わず手を握ったことを、つい最近のことのように覚えている
今年もKさんの定期チェックの結果が出た
何時ものように何でもないと、こちらも思っていたが・・・
CTで・・・腎臓に腫瘤があった!
目を疑った。しかもかなりのサイズであった。
慌てて1年前のCTを確認したが…どう見ても異常はない
1年でかなりの大きさに育っている。
思わず目の前にいるKさんにどのように話すか戸惑ったが、詳しく調べ、治療を行わないといけない
「Kさん、腎臓に去年は見られなかったしこりがあるみたいです。悪いものの可能性も否定はできないので、急いで調べましょう」
半年くらい前に、少しやせたことがあり、気にしていたが、たまたまその時はKさんのご家族が体調を崩し、付き添いや心配なので食欲がなく・・・
といった話であり、その半年前にはいろいろ調べて異常もなかったので、経過を見ていたのだが・・・
その時点で検査をしていれば、もう少し早く見つかったかもしれないと思うと痛恨の結果になってしまった。
毎年の検査のタイミングが数か月だけでもずれていたら…など
病気に「たられば・・」がないことはわかってはいるが、やはりいろいろと考えてしまったし、責任も感じた。
Kさんの精査の結果は残念ながら腎臓の悪性腫瘍とのことで、手術をすることになった。
てっきり腎臓原発と思っていたが(泌尿器科の先生も)、病理結果は、なんと「乳がんの転移」とのことだった!
20年近くおとなしくしていたのに・・・しかも腎臓転移はかなりまれだ!
結局その後、抗がん剤治療もおこなわれたが、病状の進行は極めて厳しく、腸を巻き込み腸閉塞となり、バイパス手術
さらには黄疸も出現し、胆管と腸の吻合など、短期間に3つの手術が行われた
手術はほかの病院で行われ経過は報告を受けていたが、たまたま自分が、その病院の緩和ケア研修会のお手伝いをすることになっており
研修会終了後、入院していたKさんの病室を訪れた。
Kさんは見間違えるほどやせていた
「先生…嬉しい、来てくれたんですね、会いたかった

「もう、疲れちゃった、早く先生の所に連れて行ってくださいな」
「先生のところ(緩和ケア病棟)で少しのんびりしたい」
Kさんは涙をこぼしながら話した。痛みもあるのか、持続注射でコントロールが始まっていた。
「わかった、なるべく早く移れるように相談してみますね」
それから1週間もたたないうちに、Kさんは緩和ケア病棟に転院してきた。
在宅復帰して療養の体制をととのえる暇もなく体調はさらに悪化し、意識の混乱や、ウトウトすることも多くなり
ゆっくりお話をすることも出来なくなってしまった
最近では、夜の時間帯のお看取りは、当直の先生にお任せするようになっているが・・・
スタッフには、Kさんの状態悪化の時には、いつでも自分連絡するように伝えた。
ある日の朝、Kさんの病室を訪れると、もう眼を開くことも出来なくなり、じっと横になっていた
お別れの時間が迫っており、ご家族に集まっていただいた。
もう、ご主人とも長いお付き合いになる・・・
その日の昼過ぎ、Kさんは静かに旅立たれた。
私にとってはKさんは病気の先輩であり、同じころ、同じような状況を味わった同志でもあった
自分が病気でしばらく診療が出来ないことを伝えたときには、ずいぶん心配していただいた・・・
今でも、もう少し何とかできなかったのかと自分を責める思いがある。
予約外来の患者さんも通院できなくなったり、新たに体調を崩されたり・・・
1人、また一人と、徐々に減ってきてしまい、今では30人を切ってしまっている。
それだけお互いに歳を重ねたということなのかもしれないが・・・
Kさんを失ったダメージは自分の中でもかなり大きなインパクトがあった。
今はただ安らかに、穏やかに日々を送られていることを祈ってやまない
(平成28年9月4日)



鳩?

緩和ケア病棟に入院してくる患者さんは、やはり病状が進行してくる方も多い、
最近は緩和ケア病棟から在宅や施設に退院していく患者さんや、レスパイトと言って、在宅からの一時的な入院も多くなった気がする。
緩和ケア科全体で見ても、在宅の連携の先生たちにお願いして在宅復帰するケースもずいぶん多くなり
自分たちもスタッフが増えた分、病院の近くの患者さんに対して、自分たちで訪問診療を行うことも増えてきた。
ただ、在宅の先生からの緊急バックアップの場合はそのままお看取りのケースも少なくない。
先日も急激な呼吸状態の悪化で連携の先生から依頼があり、Hさんが救急搬送された。
緊急入院の場合、緩和ケア病棟では対応できないが、平和病院では一般病棟のスタッフが頑張ってくれるので
どうかすると緩和ケア病棟の入院患者さん以上に、一般病棟での入院の患者さんがいたりする。
救急車での来院だけあり、Hさんはかなり厳しい状況であった。
在宅の先生からも「あと1週間は無理」といわれての入院で、
自分も入院当日「ここ1日~2日でお別れになると思います」とご家族にはなしたが・・・
さいわい治療により緊急事態は脱し、病状そのものは安定したが、「せん妄」と呼ばれる意識の混乱が著明で
お話しても何を言っているのかわからない・・
ただ、怒ったような感じはなく、いつも笑いながらいろいろ話してくださってはいたが・・・・会話がかみ合わない
その後、緩和ケア病棟に転棟できるまで状態は安定した。
ただ、お話しできるときとできないときの差はかなりあった。
ある日の廻診の時、穏やかに話され、混乱もほとんどない(と思う)状態であったので、少し時間をかけてお話が出来た。
ベッドサイドには、ご家族の写真がたくさん飾ってある。穏やかな笑顔で・・・
「Hさん、お若いころは何をなさっていたんですか?」
「先生、鳩って知ってるかい?」
「えっ、鳥の鳩ならもちろん知ってますけど・・・」
「そうじゃないよ…鳩、大きな声じゃ言えないけどね」
何となく伝書鳩に大事な情報をつけて飛ばしていた時代があることは知っていたので・・・
「あの…まさか・・・スパイとかですか?」
「スパイじゃないよ、ふふふ・・家族にも内緒! ずいぶん危ない目にあってさあ・・・」とナイフかなんかで切り付けたり刺したりする動作をする!!
「そんな危ない世界にいらしたんですか?」
「そうだよ」
鳩が実際どんなことを言っているのか詳しくはわからなかったが、なんだか「危ないお仕事」であったことは想像できる
秘密諜報部員だったのか・・・?
それとも、たまたま、まともそうに見えても「せん妄」によるものなのか・・・
その時穏やかに笑うHさんの瞳の奥が、きらっと鋭く光ったような気がしたのは気のせいか・・・!
でもなあ・・・
写真に写っているHさんは、本当に優しそうなひいおじいちゃんなんだけど・・・・
(平成28年6月12日)



機能充実

平和病院緩和ケア科に新しく2名の医師が着任しました。
林路子医師は3月で退職
4月から森田真理、川田和弘が着任しました。新たに着任予定だったもう一人の医師は
大学医局の人事の関係で残念ながら時期が遅れることになりました。
また、非常勤で勤務していた櫻井宏樹医師は4月で勤務終了となり
5月から横浜市大市民総合医療センター化学療法・緩和ケア部との連携強化に伴い
月曜の非常勤として1名が仲間に加わります。
一時は4名の常勤で運営していましたが、
1名は大病院の緩和ケア科に移動
1名が在宅に転身
残った1名も体調を崩し、3月で退職になりました
緩和ケア施設ではdo
こも常勤医師の不足に悩んでいる中で、
2名の医師が平和病院緩和ケア科での勤務を希望してくれたことは
本当にうれしく、逆に、しっかりとした緩和ケア医に育ってもらうためのサポートをしていくことが
大きな責任となってきます。
また鶴見区医師会が行う地域での在宅ケアスタッフ向けの緩和ケアスキルアップ研修も
4年目を迎え、
さらに今年度からは横浜市立大学医学部の6年次の学生の病院実習のお手伝いもすることになり、
認定看護師の実習、薬学部学生の実習受け入れなども継続し、教育施設としての役割も大きくなってきました。
日本緩和医療学会認定研修施設としても更新も受理され、専門医取得を目指す外部研修医師も2名継続して研修を続けます。
昨年行った、訪問看護師さん向けの、怒涛の3時間講義も評判が良かったようで、今年度は2回予定されています!
スタッフ増員に伴い、外来診療体制も充実させ、迅速な対応も可能になります。
多くのスタッフの協力で、平和病院緩和ケア科、緩和ケア病棟は育っていきます
あれもやりたい、これもできるのでは・・・
夢は膨らみますが、地道に一歩ずつ地に足をつけ進んで生きたいと思います
とりあえず、今年度のコスプレはグレードアップしなくちゃね!
(平成28年4月7日)



今年は地味に

先日、緩和ケア病棟でクリスマス会が行われました
今年は、看護スタッフが参加しているLily合唱団のメンバーが助っ人に来てくださり
素敵なハーモニーを聞かせてくれました。
毎年クリスマス(だけじゃないけど)にはコスチュームを着て参加するのですが、
去年はクリスマスツリーの被り物で、かなり動きにくく、顔の一部分しか出ないので、誰がかぶってんだかわからない…との話もあり
今年はトナカイスーツという、地味な格好にしましたが・・

逆に、地味すぎる!
電飾ものにしてほしかった!
など、厳しい意見をスタッフからもらい、せめて赤い鼻で我慢してもらいました。
多くの患者さんやご家族が参加してくださり、
ベッドに横になったままで参加してくださった方もいました。
ふだんはほとんど眠っている患者さんが、しっかり目を開け、
言葉もあまり出さなくなった患者さんが、しっかり歌ってくださったり・・・
涙を流して喜んでくださったご家族など・・
緩和ケア病棟の季節季節の行事が、大切なことを改めて感じました。
臨床心理士さんのギター演奏で、クリスマスソングを歌った後、
自分は「クリスマスの夜に」という曲をギターで弾きました。
サックスも習い始めていたので、1曲くらい…とも思いましたが、まだあまりきれいな音も出せないので、来年ということで・・・
何年か前、久しぶりにオリジナルの「ハッピークリスマス」という曲を作って歌いましたが。今度はその続編!
最近人前でギターを弾くことがないので、どうも手が震えて、できは今一つという感じでしたが、
それでも翌日病室を回った時には、何人かの患者さんが、「先生が歌を歌うなんて・・驚きました!」などと言葉をかけてくださいました。
もう今年も残りわずかになりました。
病棟の飾りも一気にお正月ムードに変わっていきます
新しい年を迎える
このことが、今の時期に入院している患者さんやご家族にとっては、とても大事な想いになります。
今まであたりまえのようにむかえていた「新年」が目標にさえなるのですから・・・
病院は29日で通常の業務を終了し、年末年始の体制になります。
この時期は、外来に通院している患者さん、また、仲間の在宅の先生にお願いしている患者さんが
診療所や病院が休みの体制になる・・という心配からか、緊急入院の要請が急増する時期でもあります。
一方で、正月を自宅で、と病棟から外泊してご自宅に戻られる方もいます。
31日、1日は林君が対応してくれますが、そのほかは29日、4日が当直、30日、2日、3日は出番というかなりのハードスケジュールですが、
今年の残りの数日も、気合を入れなおしていきたいと思います
(平成27年12月27日)



今年はゴースト

  
今年も緩和ケア病棟では、ハロウィンイベントが行われました。
最近は何か行事があるごとに、コスプレをすることが恒例?になり、どんどんエスカレートしていくような気がしますが、
今年もひそかに通販サイトでハロウィンコスチュームを探し。すっぽりかぶるタイプの「
ゴースト」を選びました!
バニーガールや、セクシーナースも捨てがたかったのですが、さすがにひんしゅくを買うことが予想され、また、ゾンビやスケルトンなどは、
緩和ケア病棟としては明らかに望ましくないので、写真のようなコスチュームに決めました。
毎週木曜は緩和ケア専門医の櫻井医師が非常勤で勤務しており、、また、同じく西井医師も参加、
病棟スタッフや、薬学部の実習の学生さんも参加して、患者さんの病室をまわりました。
何人かの患者さんは状態が悪く、バタバタと部屋に乱入するわけにもいかず、一部屋一部屋お断りをしてから
一緒に記念写真を撮影しました。とった写真はすぐにプリントして、患者さんの部屋に飾りました。
いつもはほとんどん眠っていることが多くなった患者さんが手をたたいて笑ってくれ、起き上がってベッドに座り
毎日付き添っていらっしゃる奥様の隣でコスチュームを着てツーショット写真を撮ったり
黄疸がひどくなり、ほとんどお話しすることも出来なくなった患者さんが
私たちの姿を見て「ま~!」と目をしっかりあけたり、
入院してからほとんど笑うことが無くなっていた患者さんが、見たこともないような笑顔で微笑んでくれたり
私たちも驚かされることが多く、患者さんやご家族の笑顔に癒され、パワーをいただきました。
全部の病室を回った後で、スタッフの記念写真です
このコスチュームは、すっぽりかぶるタイプなので、けっこう暑く、終わるころには汗だくになってしまいましたが・・・
こんなに喜んでくれるなら・・・毎月やってもいいよね・・というスタッフの声も聞かれました。
確かに・・コスプレは苦手???でも、患者さんやご家族の笑顔には代えられないよね!
(H27年10月30日)



幽体離脱

緩和ケア科の患者さん、特に一時的にでも状態が悪化した患者さんとお話ししていると、夢とも現実とも取れないような体験を
聞かされることがある。
目の前が明るくなり、自分の亡くなった親が出てきたり、
川の岸辺に立って、船を待っていたり・・・
先日、救急搬送された患者さんがいた。
暑さのせいか、脱水に伴う意識障害が著明で、入院、点滴で翌日には状態が改善した。
病室でお話したとき・・・
たいへんでしたね、昨日救急車で運ばれてきたときは、もう話しかけても返事も出来なかったので、ずいぶん心配しましたよ!
いや~、全然覚えてないんですよ、ただ、不思議なことに・・・
あの時、自分が救急車に乗せられているのを、自分が「上から」見てたんですよ。
えっ?
自分のことを自分で見てたんですか?
そうなんですよ。今思うと不思議なんですけどね。
あ~救急車に乗せられてる。このままじゃやばい!
もどらなくちゃって思って・・・
そしたら・・・気づいたら入院してたんですよ。
その患者さんは、数日で退院して、いまも外来通院中だが・・・
自分の意思で「戻ってくる」話は何回か聞いたことがある。
あちら側から手招きされたが、「まだ行きたくない!」と言ったら帰っていったとか・・
幽体離脱というのだろうか?
この患者さんも、救急車に乗った自分をただ見ていただけなら、自分の身体に戻れず、そのまま上まで行ってしまったのか?
誰でも同じような体験をするわけではないのだろうが・・・
もし自分が、そんな状況になった時には、大声で「もどります!!」と叫んでみたい・・・
(平成27年9月13日)



季節はめぐり・・・

緩和ケア病棟では季節の行事を大切にしています。
2月の節分には毎年、鬼のコスチュームを着て病室を回ります。
今年は赤鬼君セット
デラックスと青鬼君セットデラックスを通販で買い求め、
当日は病室を回りました。
以前のものより、かなりバージョンアップした感じで
患者さんやご家族も喜んでくださいました。
翌日に病室を回ると、ある患者さんからは
「昨日は楽しかったです、先生、いい趣味をお持ちですね!」と言われましたが・・・
別に「趣味」ではないのですが・・・?
3月は桃の節句、毎年ひな人形がホールに飾られます。
ただ、ひな祭りだけは、毎年それにちなんだコスチュームで・・・とも思うのですが、
さすがにお内裏様やお雛様のコスチュームはどこを探してもなく、
着物を着て、ただじっと座っているわけにもいかないので、ひな人形をただ眺めるばかり・・・
少しさびしい感じもしてしまいます。
平和病院緩和ケアでは外来診療や訪問診療も行っています。
3月のある日、患者さんのご自宅に看護師さんとともに出かけると・・・
お部屋に「つるし雛」が飾られていました。
あまり実際のものを見たことがなかったので、すごく新鮮で、
飾りの一つ一つが全部手作りで
かなり精巧にできているのには驚かされました!
ご家族が、「写真撮ってあげましょうか」と言ってくださったので、お願いしたのがこの写真
この大きさのものが3つつるされていて、圧巻でした!
緩和ケア病棟でも飾れたら・・・と思いましたが、いただくわけにもいかず、昨年と同じ雛飾りになりました。
季節の行事、季節の花、季節の歌・・・
病室の中で過ごす患者さんたちにとって、少しでもいつもと違う日を過ごしていただけるよう、スタッフは知恵を絞っています。
もうすぐ春
もうすぐ季節を代表する花「サクラ」の季節になります。
旧病院では桜の大木が何本も植わっており、病室の窓のすぐそばまで枝を伸ばし、
毎年、病室のベッドが、花見の特等席になっていました。
残念ながら、今は、敷地の中には新病院が出来たときに、㈱東芝の西田会長が植樹してくださった「しだれ桜」があるだけです。
あと10年、20年すればこの木も大きく育っていくと思いますが今はまだまだ階段を使わないと見に行くことが出来ません。
昨年は、「お花見」の題で以前に書きましたが、何人かの患者さんとスタッフが近くの桜の木の下に「花見」に行きました。
その時に参加してくださった患者さんとは、残念ながら全員お別れしなくてはなりませんでした。
その中のご家族は、今は支えあう遺族の会「ハナミズキの会」に参加してくださっています。http://apital.asahi.com/article/2025/2015022300004.html
患者さんとお別れした後も、ご家族とかかわっていく・・・
ご家族の想い出は、私たちの想い出にもなっていることを感じます。
今年のお花見には何人の患者さん、ご家族が参加してくださるのか・・・
今はまだお目にかかっていない患者さんかも・・・
患者さんの状況をご家族にお話しするとき、あとどれくらいの時間が残されているか・・・をお話しすることがあります。
今頃の時期には桜の花がみられるか・・・という表現になることがあります。
桜は、季節を代表する花でもあり、風に吹かれて散る姿は、命が風に吹かれて舞い落ちるイメージにもつながります。
今、桜のつぼみはだんだん膨らんできています。多くの患者さんが、穏やかに桜の花を見ることが出来ますように・・・
そして若葉の季節、およぐ鯉のぼり・・・と一つひとつ季節を重ねていけますように・・・
(平成27年3月6日)



似顔絵

平和病院のHPの緩和ケア科の部分には担当医師の似顔絵を載せています。
以前、外科に千葉大学臓器制御外科から若い出張医が派遣されていたときは
緩和ケア科がまだ独立していなかったこともあり、外科の担当医の似顔絵を載せていました。
このホームページにも以前は「
外科ものがたり」という部分があって、
出張医のエピソードなどを書いていましたが、今は掲載していません。
その代り、最近は自分を含めた緩和ケア科のスタッフの似顔絵を描いています。
同じ絵は緩和ケア病棟の入り口のドアにも貼ることにしています。
昨年の12月に加藤医師が在宅に転身し、緩和ケア科にとっては大きなダメージになりました。
緩和ケア科の外来診療日を1日少なくせざるを得ない状況になり、
再診の通院患者さんの予約がとりにくくなり、
紹介状が届いてから初診までの期間が長くなりつつあり、
たどり着けない患者さんも一時に比べ多くなりつつあります。
11月から新しく入職した池本医師が、内科の兼務ではありますが、緩和ケア科の仲間になってくれ、
ほっと一息といったところです。
仕事に追われ、しばらく似顔絵を描く時間もなく、緩和ケア病棟のドアも殺風景でしたが・・・
ようやく新しくすることが出来ました。
ついで・・・と言っては何ですが、林医師の髪型も、就職したときと違い、長めになっていますので、
イメージチェンジしてみました!
平和病院緩和ケア科では現在(今までもそうですが・・・)、新しい医師を募集中です。
平和病院は日本緩和医療学会の認定研修施設であり、院外研修生も2名受け入れています。
専門医を目指す緩和ケア医が一人でも多く仲間になってくれれば、自分の目指す、在宅も含めた総合的な緩和ケアを提供できるのに・・・
公立病院と違い、「採用枠」の制限もなく、「理事長、院長が緩和ケア医」という、ほかの病院にはあまりない恵まれた?条件ですから・・・
どんどん新しい仲間が増え、自分が新しい似顔絵をどんどん描けるように・・・
医師が2列に並ばないと描ききれないようになればいいのに!
今年の初詣(来週は四日市に出張なので、伊勢神宮に行けそうです)には、ぜひお願いしてきたいと思います。

(平成27年1月16日)



クリスマス会

平成26年の緩和ケア病棟クリスマス会は12月25日に行われました。
病院全体のクリスマス会は24日の昼に外来ホールで行われ、各部署がそれぞれ手品、バルンアート、踊り、歌、二人羽織などの出し物を行い、
盛り上がりました。
緩和ケア病棟は林医師と天野臨床心理士が、ピアノとギターでクリスマスソングを演奏し、スタッフ、患者さん、ご家族とうたいました。
当日は2時からの予定でしたが、自分が予約外来の日だったので,
2時からは外来診療があり、急きょ予定を変更して3時から開始にしました(出たがりなので・・・)。
一昨年はサンタ、昨年はスノーマンのコスチュームを着たのですが、新しく仲間に加わった池本医師の体型が
これ以上サンタ向きのものはいない!
というほどなので(写真を見てください!)、
自分は
クリスマスツリーに変身することにしました。
ハロウィンの時と同じように「自腹」で衣装を調達したのですが、
生地が固くて動きにくい!
しかもすっぽりかぶるタイプで着にくいし!
欲を言えば、もう少し鈴とかついてるといいのに・・・
とりあえずは、写真のようなかっこうになりましたが、
自分の「出し物」はギターの弾き語りで、去年のクリスマス会の直前に作った「ハッピークリスマス」と
中島みゆきの「糸」を歌いました。
「糸」は、クリスマスソングでもなんでもないのですが・・・
よく結婚式の時に歌われたリする「出会い」がテーマの歌です。
患者さん、ご家族は長い人生の中で、いろいろなクリスマスを迎えてきています。
もちろん生まれたばかりのころ、お父さんやお母さんに囲まれて・・・
大きくなって、いつの間にかサンタが本当はお父さんやお母さんだったことが分かり・・・
恋人が出来、結婚し、子供が出来・・・いくつもの思い出が作られてきた日だと思います。
そして今年・・・
体調を崩され、緩和ケア病棟で迎えるクリスマス
きっと、この場所でクリスマスを迎えることなど、想像もできなかったのではないでしょうか・・・
そして、そんな状況の中で私たちスタッフの「出会い」があるわけで、
つらい時期での出会いだからこそ、一瞬でも穏やかな気持ちになっていただきたいし、
縦の糸はあなた、横の糸は私…会うべき人に出会えることを、人は仕合せとと呼びます・・・」の歌詞がすてきで
患者さん、ご家族が私たちと出会ったことを少しでも幸せと思っていただければ・・・との想いで歌いました。
ちょっと場違いかな・・・とも思いましたが、気持ちが伝わっていれば…と思っています。
それにしても・・・ギターが気に入らない!
まあ・・・息子が高校生の時に音楽の試験で楽器を弾かなくてはならないとのことで、急きょいちばん安いのを買ったやつなので・・・
音色とかいうものは期待できず(弾き方も昔よりへたくそになっているせいもあるのですが)
猛烈に新しいギターをほしくなってしまいました。
(学生の時に使っていたギターもまだ持っていますが、そっちのほうが40年たってもず~っといい感じです)
クリスマス会の後は、ツリーの格好のままで各病室を回り患者さんやご家族と記念写真を撮りました。
写真はすぐプリントしてカードに張り付け、患者さんにプレゼントします!
皆さんベッドサイドに飾ったり、病室の壁に貼ったりしてくださったり、ご家族からもプリント追加のリクエストがあったり・・・
クリスマス会の後、何日かして、症状が改善して退院になった患者さんも・・
「ちょうどいい時に入院しちゃいました!」などと言ってくださるのを聞くと・・・
ツリーにでもサンタにでもなんでもなっちゃおうって思いますよね!
実は・・・「バニーガール」のコスチュームは? という案も出たのですが・・・さすがに躊躇してしまいました。

(平成26年12月30日)



ハロウィン

先日、本来の日より少し早く、緩和ケア病棟でハロウィンのイベントを行いました。
今回はコスチュームも新たに購入し、張り切っていましたが、加藤君は不在、林君は緊急入院対応などで、
予定した時間には来られず、コスチュームも「選べる」状況でしたが、
去年と同じでもね~・・・と考え、おニュー(自分で買ったのですが)の全身パンプキンタイツにしました!
イベントの際にいつも気をつけなくてはいけないのは、やはり緩和ケア病には状態の悪い患者さんもいて
スタッフが、ガヤガヤとお部屋に入ることを好まない場合も有り、
患者さんのお部屋にまずスタッフが一人入り、患者さんや、ご家族の状況を確認し、
ご希望される場合にだけ、病室にお邪魔します。
あくまでも患者さんやご家族のためのイベントですから、スタッフだけがノリノリになってもいけません
でも、特にコスプレの場合は、スタッフが妙に恥ずかしがってもいけません!
やるからにはノリノリになることは必要です。
たまたまその日は緩和ケア認定看護師の実習に来ていた看護師さんにもコスチュームを着てもらいました。
患者さんや、ご家族と、スタッフが一緒に記念撮影をし、すぐに現像し、カードを作ってプレゼントします。
患者さんやご家族が少しでも笑顔になってくれるなら、どんな格好だってしちゃうのが必要で、
病室を一回りした後、スタッフだけで記念撮影を・・・と思っていると、
廊下の向こうから、いつもはせん妄気味の患者さんがこっちに向かって急いで歩いてきます。
転ぶといけないのでスタッフがサポートしました。
どうも一緒に写ってくれようとしているようで・・・
せっかくなので、その患者さんを中心に、はいポーズ!
去年とはまた違った写真になりました。
もう1年たったのか…という気もします。
季節の節目のイベントは緩和ケア病棟にとっては大切なことだと思っています。
今月はミニコンサートが計画されているようですし、クリスマス、お正月と・・・季節は移っていきます。
私たちにとっては、1年の計画であっても、患者さんにとってはその月、その月をどのように過ごしていただくか・・・
時間の流れが違っています。
それだからこそ、その時々の季節を味わっていただきたいとの思いがあります。
撮影も終わったころ、先日お別れした患者さんの娘さんが、ご挨拶に来てくださいました。
お父様を献身的に看病されていた娘さんたちでした。
こんな時、いつもなら、別室や、ホールでゆっくりお話しをし、闘病中の御苦労や、ご家族のかかわりをねぎらい、
涙されるご家族も多いのですが、何せ、主治医が、全身ピチピチのパンプキンタイツであり、
大笑いをされてしまい、とてもしんみりとお話しする雰囲気にならず・・・
「このたびは・・・」とか、カボチャ男から言われてもね!
といった雰囲気のまま、お二人とも笑ったままお帰りになりました。
よかったのか、悪かったのか・・・
しばらくたったら、大切な方を亡くされたご遺族の会「ハナミズキの会」にはお声をかけようと思いました。
このタイツはピチピチデなので、体型が隠せないこともあり、必死に腹を引っ込めて着ていました。
今度どうしてもやってみたいのは、正月の「
獅子舞」なので、、いろいろ探してはいますが、
けっこう本格的なものはお値段も高く、悩み中です!

(平成26年11月2日)



また怒られる

緩和ケア病棟では季節感を感じていただくことが大切だと思っています。
いま、病室や、廊下にはスタッフ手作りの秋が演出されています

お部屋の中で過ごすことの多い患者さんが、少しでも季節感を感じていただければ・・・
患者さんが、スタッフや、お見舞いにいらしたご家族と一緒に撮った写真を
簾の部分に挟み込むと、
素敵なフォトフレームに変身です。
秋、といえば、10月の終わりはハロウィンでをすね。
毎年、スタッフがコスプレで病室の患者さんを訪問します。
去年は、自分も魔女に変装し、フェイスブックなどにもアップしたので、「美脚」とお褒めの言葉もいただきましたが・・・
ひな祭りにしても、クリスマスにしても、端午の節句に関しても・・・
病棟に飾られる人形だったり、クリスマスツリーだったり・・・
それなりのサイズがあり、飾られていないときには、どこかにしまっておかなくてはなりません。
平和病院の収納スペースは限られており、いっぱいいっぱいになってしまっています。
自分としては、多くの飾りやオーナメントがあれば、素敵なことだと思っているので、ついつい新しいものがほしくなります。
特にコストコに行くと・・・
季節の飾り物が、たくさん売り出されるので、どれもこれもほしくなり、これも、あれも病棟にあればいいのに・・と
毎回前に立ち、買うか買わないか、長時間迷います。
残念ながら病院の予算はおりないので、ほとんど
自腹で買うのですが、
先日は、ハロウィンのカボチャが、魔女の格好をしているブリキの人形にくぎ付けになりました!
首のところにバネがついていて、たたくと頭が動く優れもの!
さんざん迷った挙句、誘惑に勝てず買ってしまいました!
「先生、飾るのはいいですけど、しまう場所まないですからね!、いいかげんにしてください!」
と、毎回怒られるのはわかっちゃいるけどやめられない!
最近は、病院の倉庫使用は却下され、院長室での保管が義務付けられたため、院長室は飾り物の倉庫状態になりつつあります。
買ってきたカボチャの魔女も昨日、ついに箱からだし、9月というのに飾ってしまいました。
(詳細は後日公開!)
当然、からの箱は院長室に・・・
院長を引退したときにはどうなるのか・・・考えると恐ろしくなりますが、
そんな時もいずれはやってくるので、今から少し、新しい飾り物はセーブしないと・・・
でも・・・店には誘惑がいっぱい・・・

(平成26年9月28日)



お花見

4月4日は、緩和ケア病棟でお花見のイベントが開かれた。
もちろん、有名なお花見スポットなどには行けないので、病院周囲の桜を見学する「ミニ遠足」になった。
旧病院の時には、敷地内には何本もの桜の木があり、
毎年春になるとたくさんの花を咲かせた。
枝は病室の窓にあたるほど伸び、患者さんはベッドに横になったままで、満開の桜を眺めることが出来た。
新病院には、新築の記念に、当時の㈱東芝、西田会長が記念植樹された「しだれ桜」があるだけだ。
当日は朝までは雨が降っており、中止か・・・と心配したが、開始時間の午後1時半には雲一つない青空が広がった(風は強かったが・・・)
いくら病院の近くと言っても、途中で患者さんの具合が悪くなってはいけないので、
勤務外のスタッフや3月末で退職したスタッフも駆けつけてくれた。
参加できた患者さんは5人しかいなかったが、そのご家族も参加してくださった。
若いお母さんのそばには、娘さんが付き添い、桜の花びらをたくさん拾って高く投げた。
風に乗った花ビラは、雪のようになってお母さんに舞い降りた。
毎年思うことだが・・・
桜は、「季節」ばかりでなく、「限られた時間」を感じさせる。
おそらく、来年の」桜が咲くころまでには、その日参加してくださった患者さんとはお別れをしなくてはならない日がやってくる。
患者さんたち、そのご家族は、どんな思いで今年の桜の花を見ていたのだろう・・・
平和病院では、緩和ケア科の患者さんは、療養病棟にも、一般病棟にも入院している。
実際、緩和ケア病棟に入院している患者さんより多くの患者さんが、他の病棟ですごされている。
本当なら、参加できる患者さんは、どの病棟も一緒に参加していただきたかったが、
なかなかそうもいかない。
そういう意味では、やはり緩和ケア病棟はある意味「特別な」病棟なのかもしれない・・・
平和病院の緩和ケア科に入院目的であたらしく紹介される患者さんには、
「私たちの本来の病棟、緩和ケア病棟には16しかベッドがありません。
緊急時の対応や、なるべく早く入院していただくためには、一般病棟のベッドで入院していただきます。
もちろん、担当は緩和ケア科の医師ですから、治療の内容には変わりはありません・・・」
と説明している。
確かに担当するのは緩和ケア科の医師なので、疼痛コントロールなどの方法は全く同じだし、
一般病棟の看護スタッフにも、緩和ケアのスキルアップを目的とした講習は毎月行っている。
ただ、一般病棟や療養病棟は40床を超える病棟で、
緩和ケア科の患者さんだけのケアを特別扱いにはできないのが現状だ。
今日のイベントの直前に、自分が訪問診療しているDさんの状態が悪化した。
平和会の在宅支援センター訪問看護師から厳しい状況だといわれ、イベントの前に臨時往診を行った。
意識の状態はかなり悪く、呼吸も荒く、脈もふれにくくなっていたが、
最後まで入院を希望されなかった。
今すぐに…という感じでもなかったので、いったん病院に戻ったのだが、
ちょうどお花見の終わるころ、「ライディーン」が鳴った。
訪問看護師からで、息を引き取られたということだった。
すぐにご自宅に向かったが、
ベッドの上の患者さんはすでに着替えもすませ、お顔もきれいに薄化粧されていた。
「お母さん、よかったね、先生がまた来てくれたよ・・・」
「今朝は、孫の入学式に、『行ってきなさい』ってはっきり話すことが出来て・・・最後は本当に静かに息が止まりました。
『入院する?』って聞いても、『ここがいい』って・・・『最後まで、迷惑かけてごめんね』って・・・言っていました。」
娘さんがおっしゃった。
この患者さんのご主人も緩和ケア科の患者さんで、奥様が献身的にお世話していたのだが・・・
「私がいなくなったら、お父さんのことでみんなに迷惑をかけるから、1週間くらいで連れて行くから・・・」なんて言ってたんです。
と娘さんが笑った。
「Dさん、さみしいかもしれないけど、まだご主人連れてっちゃだめですよ!
これでお別れですね、ご苦労様でした・・・」お別れの時間を確認し、
Dさんの家を出て病院へ帰る道にも桜の花が咲いていたが・・・風はさらに強くなり、花吹雪となって、散り始めていた。
花が散った後は、元気な緑の葉が茂るのだが・・・
この季節は花の一つ一つが、患者さんの「命」のような気がしてならない。
昨年度は695人との新たな出会いがあった。
自分一人で緩和ケア科を立ち上げた年は、年間50人の患者さんしか紹介されてこなかった。
それを思えば、今までの取り組みを評価していただけているのかな…とも思う。
ただ、ひとつとして同じ出会いはなく、ひとつとして同じお別れもない。
今日、お花見に参加してくれた患者さんに奇跡が起こり、来年も、再来年も・・・・この場所に来れたら・・・
無理なこととはわかっていても、お花見の時の患者さんの笑顔を見ると、そう願わずにはいられない。
(平成26年4月6日)



クリスマス会
 昨年の12月24日には緩和ケア病棟のクリスマス会が開催された。
病院全体のクリスマス会は19日に行われ、
毎年サンタのコスチュームを着ていたが、今年は勘弁してくれた。
緩和ケア病棟のクリスマス会は(クリスマス会にかぎったことではないが・・・)
体調のすぐれない方もいて、16床の病棟でも全員が参加できるわけではないが、
今年は昨年より多くの患者さん、ご家族に参加していただいた。
やはり白衣のままでは盛り上がらないとのことで、今年はスノーマンの着ぐるみを着たが、
サイズが小さくてどうもぴったり来ない!
こんなことなら、やっぱりサンタの格好をすればよかったか・・・
会では看護スタッフのハンドベル(きよしこの夜)
林DRと薬剤科長のピアノ連弾(アヴェマリア)
自分のギター弾き語り
をプレゼントさせてもらった。
患者さんやご家族がつらい状況の中で、少しでも、一瞬でも笑顔になってくれたら・・・
スタッフの思いはひとつだった。
患者さんやご家族は、今まで何十回もクリスマスを迎えてきている。
ご自身が初めて生まれた年のクリスマス、ご両親は笑顔ではじめてのクリスマスを祝ってくれただろう・・
恋人となって初めてのクリスマス、
夫婦となって初めて迎えたクリスマス
初めてご自分の子供が生まれた年のクリスマス
初めてお孫さんが生まれた年のクリスマス・・・
クリスマスにはそれぞれの患者さん、ご家族に、その数だけの思い出が詰まっているはずで・・・
そして今回のクリスマス今回のクリスマスは、入院し、緩和ケア病棟で迎えるクリスマス。
今までで一番体調がすぐれない状況で、もしかしたら・・・
何十回も迎えてきた最期のクリスマスになる可能性もあるのだ。
そういった意味では、スタッフには毎年繰り返されるクリスマスも、患者さんやご家族にとって、
平和病院で迎えるクリスマスは、ある意味で特別なものになるはずで、
それだけ、自分たちも思いっきり心を込めてこの日を迎えていただきたいと想う。
サンタだろうが、トナカイだろうが、スノーマンだろうが、どんな格好でもどんと来い!という感じにもなる。
会が終わった後、廻診で病室を回った時、「楽しかった…ありがとう」と、多くの患者さんやご家族が言ってくださった。
自分たちにとっては、そんな言葉と笑顔は、何より素敵なクリスマスプレゼントになった!

(平成26年1月3日)



王子から魔女へ

毎年この季節になると、緩和ケア病棟はハロウィンのディスプレイになります。
スタッフがいろいろなコスチュームをつけ、病室の患者さんやご家族のもとを訪れます。
去年は「王子」のコスチュームでしたが、今年は加藤君に譲り、自分は魔女へ!
けっこうサイズが小さいので、マントを脱ぐと(脱がないけど・・・)
背中が丸出しで超セクシー、スカートも超ミニで、黒タイツ(この写真ではお見せできません)
フェイスブックにはばっちり美脚?が写っていますが・・・
去年のこの時期には、緩和ケアの認定看護師資格を取る実習の看護師さんも2名いて、
一緒に参加できましたが、今年は少し時期がずれ、スタッフだけになりましたが・・・
最後に記念写真を…と思ったら、
ホールでこの様子を見ていたYさんが、「俺も入る!」と車いすを一生懸命こぎはじめました。
何時もは、あまり意思の疎通が出来にくい患者さんで、とてもご自分から参加してくれる
イメージはなかったのに・・・
そんなわけで、急きょ、一緒に写ることになったYさんを真ん中にして、
はいチ~ズ!
具合が悪く、スタッフがお部屋に入ることもためらった患者さんも、
こちらが驚くほどの笑顔を見せてくれたりして、ご家族もいっしょに、それぞれのお部屋で記念写真を撮り、
早速カードにして配りました。
患者さんや、ご家族の驚いたり、笑ったりするのを見ると、私たちスタッフも笑顔になれます。
つらい毎日の中で、一瞬でも笑える時があれば・・・
王子にだって魔女にだって、何でも来い!って感じになりますね。
(平成25年10月25日)


ヴィオラの音色


先日、病棟を回っているとき、Mさんから、以前いた施設で、お友達のヴィオラ奏者の方が来てくださり
コンサートを開いてくださった。
この病棟で、同じように楽器を弾くことはできますか?と、尋ねられた。
平和病院の緩和ケア科でまだまだ十分でない部分は、ボランティアの方々の参加だと思っている。
屋上庭園にはもっと花をいっぱいにしたいし、
病棟での小さなコンサートなど・・・
通所リハビリには多くのボランティアの方が参加してくださっており、
ギターアンサンブル、コーラス、民謡、などなど・・・
様々な催しが、結構頻回に行われているが、緩和ケア病棟では、そのような機会は残念ながら多くない。
今後は積極的に、多くの方々に参加してもらう体制づくりをしようと思っているが、
それはともかく・・・
今回は、その時のヴィオラ奏者の方が、当院に来てくださり、Mさんのために演奏してくださるとのことだった。
Mさんのお友達も何人かいらっしゃるとのことで、
狭くなるので、病棟ホールででも・・・との思いはあったが、患者さんの状態もあり、結局病室での演奏をしていただくことになった。
土曜の2時からの開催とのことだったので、自分も一緒に聞かせていただくことになった。
2時少し前に病室に行くと、もうみなさんが集まっていて、
ヴィオラ奏者の「太田史子」さんが素敵な衣装でスタンバイされていた。
~Mさんへ 愛のあいさつ~ヴィオラコンサート」と書かれた、手作りの小さなパンフレットも
用意されており、
演奏曲は、エルガーの「愛のあいさつ」、バッハの「アリオーソ」、「G線上のアリア」
モーツァルトの「アヴェ ヴェルム コルプス」、ヘンデルの「ラルゴ」、「涙流れるままに」
など、ほかにも映画音楽など、次々に素敵な曲を演奏してくださった。
当院では、「音楽療法」も行われており、緩和ケア科の患者さんも時々参加しているが、
歌を歌ってくると、「楽しかったあ~」などと、生き生きとした顔で帰ってくることも多い、
やはり音楽には、人の心をリフレッシュし、癒しを与えてくれるパワーがあるのだろう・・・
写真は演奏が終わった後にとられたもので、もちろんお顔を出すことは了解していただいたうえでのものだが、
Mさんの穏やかなお顔が印象的だった。
外来ホールには、講演会など50人くらいなら集めれるスペースもあり、
今後は緩和ケア病棟だけでなく、病院をご利用いただく人たちの「癒し」の空間としての利用を積極的に考えていきたいと思った。
緩和ケア病棟は、苦痛コントロールのスキル、療養環境整備、スタッフの心のこもったケア、メンタルなサポート。ご家族にも寄り添う気持ち、
色々な面で質の高いケアが要求され、また、それを目指していかなくてはならない。
ただ、「診療基準を満たす施設と、スタッフの確保」がされているだけでは使い物にならない。
患者さん、ご家族が、「この病院を選んでよかった」と言っていただけるよう、また、スタッフも「この病院、この緩和ケア病棟で働けてよかった」と思えるような「感動と安心感」を感じていただけるように・・・
今回の病室でのヴィオラコンサートは、自分にとってのそんなモチベーションを上げていただいたような気がした。
(平成25年7月15日)



端午の節句


 

もうすぐ端午の節句。
いつも思うことですが、緩和ケア病棟には季節感が大切だと感じています。

今年は「何とか鯉のぼりを外に飾りたい!」という思いもあり、
ネットで調べ、ベランダタイプの鯉のぼりを注文しました。
屋上庭園にはツツジが咲き始めており、病棟の廊下の突き当たりにある窓から見えるように設置しました。
その日は風も結構強く、写真(右)のように元気に泳いでいました。
後から聞いた話では、自分とクラークが取り付けたのですが、風が強すぎ、ポールが斜めになったりして大変だったようで・・・
結局、施設課の職員にがしっかり固定してくれたようでした。
最近、このサイトのほかにも、
facebookで「平和病院緩和ケア科」のページを作り、情報提供していますが、
そこに、この鯉のぼりの写真をアップしました。
その時に、「ここまで来ると、金太郎と熊の人形がほしくなってくる!」と書いたのですが・・・
それをたまたまご覧になった方がいて、
ご自宅にあった人形を、わざわざ平和病院まで送ってくださり、今日、到着しました!
写真の左の人形ですが、ガラスケースに入った立派なもので、
鎧兜をつけ、凛とした顔が力強い感じです。(金太郎なのかな・・・?)
ケースを見てみると、下にはなにやら金色の不思議なスイッチが・・・・
回してみると(はじめは壊れてしまうのでは・・・と心配でしたが)なんと、この部分はオルゴールのスイッチになっていて、
音楽が流れてきました!
去年は兜だけだったので、今年はかなりグレードアップした感じです。
「あとは、やっぱり
だね!」と話すと、
それはもう、先生が着ぐるみを着るしかないでしょう・・・とか、
とりあえず、北海道土産でよくある、鮭を咥えた熊なんか置いてみたらどうですかね・・・とか
テディーベアはどうです?・・とか(雰囲気全然合わないし!)
いっそクマモンは?
などと、無責任な意見もいろいろ出ましたが、
結局、写真のような感じにおつつきました。
兜に関しては、去年の同じころも書きましたが、
もう、1年たったのか…という思いもします。
去年の今頃は、まだ自分一人だけで外来、病棟を管理していたので
連休も何も関係ない状況でしたが、
今年は常勤医師も加藤、林と二人増え、こちらに関してもグレードアップしたと感じています。
5月3日は当直で、4日の明けに廻診と、その後の出番をすれば、5日と6日は完全にフリーとなり・・・
1年前からくべれば、まさにパラダイスのようですが、
この1年間で、平和病院緩和ケア科に紹介されてくる患者さんは激増しており、
平成20年度が1年間で51人だったのに対し、平成24年度は600人弱(10倍以上!)と、なってしまっています。
さらに、この4月は1か月だけで、73人の患者さんが新規受診されました!
もっともっと迅速な対応が求められている以上、気は抜けませんが、
病棟の季節感を演出して行くことは、患者さんの対応と同じくらい気合が入っています!
新しく仲間入りしたこの人形が、多くの患者さんや、ご家族にパワーを与えてくれることを願っています。
(平成25年5月1日)



ミニコンサート


先日、Mさんが旅立たれた。
長い間、病気と闘ってこられた後での再発、転移であったが、
積極的な抗がん剤治療や、痛みどめもなかなか受け入れずに経過されていた。
初めて緩和ケア科の外来に受診された時、時間をとって、これからのかかわりをお話しさせていただいたが、
部屋に入っていらした時には硬い表情だったにもかかわらず、
部屋を出るときには、笑顔で、握手さえしていただけたことを鮮明に覚えている。
その後、病状の進行に伴い、緩和ケア病棟に入院されたが、
しばらくは症状も強くはなく、比較的穏やかに経過されていた。
病棟のクリスマス会にも、麻痺のためにベッドに寝たままだったが、楽しみにして参加してくださり、歌も一緒に歌っていただいた。
薬剤科長とのピアノの連弾(どうひいき目に見ても惨憺たる出来だったが・・・)も、気に入ってくださったようだった。
以前、自分がギターを弾いていたことなどを、廻診の時にお話ししたこともあったせいか、
その後に病室に行ったときには「クリスマス会では、先生がギターの弾き語りをするのかと思っていました・・・」と言われた。
「聴きたかったのになあ・・・」とまで言ってくださったので、
「じゃあ、近いうちにお部屋にギターを持ってきますね!」と、約束をしたが・・・
なかなか実現できないうちに時間が過ぎ、年末になってしまった。
平和病院は29日で平常業務を終了し、年末年始の休暇体制に入ってしまう。
もちろん、自分か加藤君が出番になって出てくるのだが、約束を年越しにするのも嫌だったし、
そのころにはMさんの状態も徐々に悪化し、年越しにはゆっくり歌を聴いていただけるような状況ではなくなるような気がしたので、
30日の出番の日に、部屋からギターを抱え(院長室には、普通のギターとサイレントギターが2本おいてある)病室に訪ねて行った。
「Mさん、なかなか約束が果たせませんでしたが、今日はお休みで、時間もあるので、ギターを持ってきましたよ!」
人前でギターを弾いて歌うのなんて、かなり久しぶりで、なんだか少し緊張したが・・・・
結局、ず~~~~~っと前(大学時代に)、自分が作った歌を弾くことにした。
大学のサークルではコンサートなどで、オリジナルの曲なども披露していたが、その日は、まだ人前で一度も歌ったことがない曲にした。
なんせ、20代の時に作った歌なので、歌詞も、とても60近い(その時はまだ59歳だったので)おっさんが歌うようなものではなかったが・・・
不思議なもので、何年たってもメロディーは忘れていない。
ほおずき市
二人で地下鉄を降りて、人の波にもまれて行った、あのほおずき市の季節になりました。
赤い風鈴が好きと言ってたあなたの髪を、撫でた風に吹かれて、「チリン」と鳴りました・・・・・


いつもとそれほど変わらないような朝
いつもとそれほど変わらないような朝,あなたに手紙をしたためて
これからあなたがずっと僕のそばにいてくれたらいいのになんて書きました・・・・・


水色の自転車にのって
君が初めて僕に編んでくれたセーター、少しおなかのところがブカブカなんだけれど
君の心のぬくもりが伝わるようで、僕をやさしく包んでくれています・・・・・・


と、調子に乗って3曲を披露させてもらった。
Mさんは、「先生・・意外にロマンチストなんですね・・、その歌詞って、実体験ですか?」などと言われた
そのころには、麻痺が進んで、手の動きが十分でなくなっていたので・・・
「拍手したいけど、手が動かないから…ごめんなさい。でも・・・聴かせてくれてありがとう・・・」と、言ってくださった。
実は、一度、家で娘が、楽譜を見たことがあり、その詞を読んだとき
「キャーなにこれ!、あ~~マジ鳥肌が立っちゃった!」などと、何ともデリカシーのない批評をされていたので・・・
Mさんがどう思ってくださったかは、少し不安で、今となっては本当のところはわからないままになってしまったが・・・
ほんの少しでも気に入ってくださっていたら・・・と今でも思っている。
(平成25年2月11日)



真夜中のお囃子

この写真は年末に通販で購入した「踊る獅子舞」の人形です。
フェイスブックの「平和病院緩和ケア科」でも紹介してありますが・・・
お正月気分を味わっていただこうとスタッフステーションのカウンターに置いてあります。
スイッチを入れて、近くで音を立てると(柏手なんかがいいと思ったのですが)
お囃子が鳴り、獅子が躍りだすもので、結構気に入っています。ただ・・・
お囃子の音がけっこう大きく、病棟は音が響くので、スイッチが切られ、「実力」を発揮できない状態で飾ってあります。
今日は出番の引き継ぎ、(年末は加藤君が出番、今日からは自分が出番です)のため、病棟に顔を出したのですが。
看護師から報告がありました。
夜間はスイッチを切って、音が鳴らないようにしているのに、誰かが、いれっぱなしにしたらしく、
真夜中・・・・
し~~んとした病棟で、看護師が獅子のそばで、知らずに音を立てたところ・・・・
突然大きなお囃子の音とともに、何とも時間をわきまえない獅子が躍りだしてしまったとのことで・・・
しかも・・・あいにく、その看護師はスイッチの位置が確認できず、とっさに踊る獅子をだき抱えて
病室から遠くへと走り、鳴りやむのを待ったようでした。
さいわい、踊りだしたのは小さな獅子のほうで、まだ、小さめの音だったからよかったのですが、
大きな獅子の場合は、音も大きく、もっと大騒ぎになったかもしれません。
今日は、獅子の横に、小さな門松も飾ってあり、雰囲気はぐっと良くなったのですが・・・
自由に踊れない獅子たちは、少し不満げにも見えました。
年末年始は、外来で経過観察中の患者さんが、多く入院すると予想していましたが(毎年そうなので・・・)
今のところ比較的落ち着いているようでした。
ただ、明日は、平和病院はまだ休みで、そのあとは週末になるので、「嵐の前の静けさ」かもしれません。
落ち着いているのが、患者さんにとっては何よりですが・・・
明日は自分が当直だし・・・・
このまま静かに休みが明けてくれれば、と思います。
(平成25年1月3日)



病棟クリスマス会

12月25日は、緩和ケア病棟のクリスマス会でした。
病院全体のクリスマス会は先日開催しましたが、その時にもサンタの格好をしたので、この日は2回目!
ただ、眉毛の部分に綿をつけたので、今回は若干グレードアップ?
ただ、おなかを膨らせるために服の下に入れたバスタオルが下にずれてきて・・・
押さえながら歌ったりしたので、ここに公開していない写真では、まるで、サンタが股間を押さえているようにみえるものもあり、
当然ボツ写真となりました!(サンタが股を痒がっているように見えるので・・・)

  
患者さんも楽しみにしていてくださり、何日か前からも、クリスマス会いつだったけ? と聞かれたり・・・
当日は、、小さな子供(お孫さん)も参加してホールはにぎわいました。
会は、初めの挨拶のあと、いきなり薬剤科長とのピアノ連弾「アベマリア」からスタート
去年も同じ曲を弾いたのに、今年は緊張し、できは今一つ・・・
ピアノの連弾といえば・・・これ以外は、娘がピアノを習い始めたころ、発表会で、「お父さんとの連弾」で「10人のインディアン」を弾いた以来で・・・
ふと、その時のことを思い出したりしました。
連弾の後は、手作りの歌詞カードを使って,みんなで「サンタが街にやってくる」「ジングルベル」「きよしこの夜」を歌いました。
途中で患者さんの娘さんが、涙をこぼしながら歌っているのに気づき、なんだかジ~ンと来るものがありました。
そのあとは、手作りのカードを配り、会は無事に終了しました。
患者さんのおひとりから、チョコレートを逆にプレゼントされるサプライズもありました。
ほんとに短い時間でしたが、患者さんや、ご家族の気持ちが少しでもなごんでくれたら・・・と思いました。
一番右の写真は、スタッフの集合写真です。
そのあと、ある患者さんから、「先生はギターを弾くのかと思っていました」と言われてしまいました。
今朝の廻診の時にも「今度ギターを聞かせてくださいね」と言われたので・・・
明日はお部屋にギターを持っていき(院長室には2本おいてあります)、
オリジナルソングのミニコンサートでもやってしまおうかな…と思っています。
さあ、次はお正月モードに突入!
ネット販売で、「動く獅子舞人形」をあわてて注文しました。
(平成24年12月26日)



クリスマスモード

医療監査も無事終了し、病棟は一気にクリスマスモードに変身しました。
入口のガラスにはシールが貼られ、そのドアを開けると、
クリスマスツリーの下で、ハンドベルを振るサンタが立っています。
スタッフステーションのカウンターには陶器でできた、キリスト誕生のシーンが飾られています。
他の部署にもツリーが飾られていますが、このツリーは、スリムで、飾りもシンプルで気に入っています。
(綿で作った雪は、どうしても好きになれません・・・・)
もともと、これらのオーナメントは子供たちが小さいころ、自宅で飾っていたもので、
ハワイに住んでいる義理の妹夫婦が毎年、贈ってくれていたものです。
一つひとつがけっこう大きめのサイズなので、
狭い自宅にはとても飾りきれず、病棟で飾ることにしました。
去年のこの時期には、シクラメンとポインセチアの鉢を買ってきました。
シクラメンは、多年草であることは知っていても、自宅で地植えしているガーデンシクラメンは
結局、そのまま植えていることも出来ず、春先には他の花に変えてしまうのですが、
病棟クラークがこまめに手入れをしてくれたこともあり、今年もいっぱい花をつけました!
夏のころには元気がなく、ダメかと思っていたのですが・・・
シクラメンにも緩和治療が施され、復活したのには感激でした。
病院全体のクリスマス会は20日に終了しました。
今回は2階の外来ホールで行われ、サンタの着ぐるみを着て、全病棟もまわりました。
緩和ケア病棟独自のクリスマス会は、この連休明けに予定されていますが、
全体の会の時に緩和ケア病棟も、サンタの格好で(加藤君はトナカイ・外科の岩瀬君がスノーマン)回ってしまい
患者さんやご家族との記念写真も、撮ってしまったので
もう一度サンタになるかは微妙ですが・・・
去年は薬剤科長と一緒に電子ピアノで「アベマリア」の連弾をしたので、今年も明日は、夕方から特訓だそうです・・・
ピアノより、どちらかというと、ギターのほうが馴れてるんだけどなあ・・・
緩和ケア病棟には、状態の厳しい患者さんもいらっしゃるので、
あまり大きな音も出させないのですが、参加していただける患者さん、ご家族とともに、一緒の時を過ごしたいと思います。
クリスマスのイメージは、星空、雪・・・
つらい状況の患者さんやご家族が、少しの間だけでも気分を変え、笑顔を見せてくれたら、
それは、私たちスタッフにとっても大きな活力になります。
今年が最後のクリスマスになる患者さんも多いなか、クリスマスのイベントが、小さな思い出になることが出来ますように・・・
(平成24年12月21日)



ハロウィン


10月31日はハロウィンでした。
緩和ケア病棟では季節季節の行事が行われます。この前はお月見でしたが、
たまたま実習に来ていた薬学部の学生さんや
看護協会の「緩和ケア認定看護師」の実習に来ていた看護師さんたちも参加して、患者さんの病室を回りました。
自分は「王子様」、加藤君は「魔女」、薬学部の学生さんは馬なので、顔が見えませんが・・・
毎回、このような行事の時には、患者さんの状況もあり、
必ずしも全部の患者さんのところに行けるわけではありません。
その時の患者さんの様子を見て、お部屋に入るかどうかを決めます。
最近、具合が悪くなってきたSさんは、笑顔を見せることも少なくなっていました。
看護師のケアや、薬のことなどに関して、納得してくださらないことも多くなっていました。
突然、仮装したスタッフが入って行っても、受け入れてくれるだろうか・・・・
そんな心配をしながら、そっとドアをノックしました。
「Sさん・・・・今日はハロウィンなので、みんなで仮装してきました。入っていいですか?」
Sさんは気管切開をしていて、声を出すことが出来ません。スタッフとのコミュニケーションは、ボードでの筆談で行われています。
そんなSさんは、初めは驚いたような顔をしていましたが、満面の笑みで迎えてくれました。
記念写真を撮るときにもニコニコほほえみ、なんと、Vサインまでしてくれました。
部屋を出たとき、なんだか自分もうれしくなりました。やはり、患者さんの「笑顔」は私たちスタッフにとって、最高の贈り物です。
このような行事は患者さんやご家族のために・・・・という面ももちろんですが、
逆に患者さんや、ご家族から、自分たちが勇気づけられていることを感じます。
写真は、すぐに現像して患者さんたちにプレゼントしました。
このような写真は、ご家族にとっても想い出になることもあるようで・・・
先日、亡くなられた、患者さんのご家族がご挨拶にみえたとき、1枚の写真を持ってこられました。
その患者さんの誕生日の時にスタッフがお祝いにお部屋を訪ね、一緒に記念写真を撮った時のものです。
患者さんの誕生日には、スタッフが寄せ書きをし、小さなケーキも用意します。
まだ、比較的お元気だったこともあり、満面の笑みで、万歳をしてくださっているもので、私たちから見ても「いい写真」でした。
ご家族もその写真をすごく気に入っていただき、データでほしい…とのことでしたので、デジカメのデータをお渡ししました。
11月になると、次はクリスマス、お正月・・・
節目節目の季節の行事が、患者さんにとっての「目標」にもなり、最期の行事にもなり、そこまでたどり着けない場合もあります。
1日1日が、患者さん、ご家族、そしてスタッフにとっても大切な時間になることを改めて感じた日でした。
(平成24年11月3日)




緩和ケア病棟の理念

平和病院には病院の基本理念があります。
患者様にとって、いつも優しく、誠実であること
この理念は、私が院長になった時に、職員全員にアンケートをとり、平和病院はどうあるべきか、
自分たちはどんな病院で働きたいか・・などの意見を聴き
これをもとに作成したものです(あのころのバイタリティーが懐かしいです・・・)。
緩和ケア科の基本理念や、基本方針も、この、病院の理念に沿ったものになっています。

緩和ケア科の理念
がん患者さんが、診断から、最期の時を迎えるまで、その人らしく過ごせるよう優しく、誠実な対応を行います。


緩和ケア科の基本方針
1. 患者さんが、痛みなどの身体的な苦痛から解放されるだけでなく、精神的にも、社会的にも、穏やかに過ごせるよう、全人的な緩和ケアを提供します。
2. 患者さんとともに戦う、ご家族の気持ちに配慮し、適切な情報の提供を行い、療養の経過中ばかりでなく、死別後に至るまで、支援します。
3. 緩和ケア病棟ばかりでなく、患者さんの状況により、一般病棟、療養病棟も使用し、また、緩和ケア科外来、在宅支援センターなど、病院の持つすべての機能を駆使して患者さんの受け入れを行います。
4. 他職種の職員が、その知識を生かし、専門性を発揮し、互いに情報を共有し、協力することで総合的なケアを提供します。
5. 各職員が研鑽し、研修を行うことで、院内全体の緩和ケアの質の向上を図るだけでなく、対外的な情報発信、教育活動を行い、地域における緩和ケアの質の向上に努めます。
6. 地域における病院、診療所、在宅支援施設との連携を強化し、確実なバックアップを提供することで、「がん難民ゼロ」を目指します。


そして、
緩和ケア病棟の理念

患者さんそれぞれの生き方を尊重し、その人らしい、その瞬間(とき)を大切に過ごせるようにします

私たち緩和ケア病棟スタッフは、患者さん個人の考えや生き方を尊重し、限られた時の中でも、その日、その時間を大切にし、
今日できることは先延ばしにせず、その瞬間を大切に過ごしていただくためのお手伝いを全力でしていけたらと思っています。
緩和ケア病棟の理念は、そんな想いを言葉にしました。

私たちは、これらの理念、基本方針にのっとって、これからも良質な緩和ケアの提供を続けていきたいと思っています。
この秋、緩和ケア病棟には緩和ケアの認定看護師を目指す看護師さんが、臨床実習にやってきます。
また、来年には某大学医学部の学生さんが、緩和ケアの見学(実地研修)に来ることが決まっています。
人にものを伝えるには、やはり自分たち自身を磨いていく必要があります。
日常業務に追われることなく、成長を続けていきたいと思っています。




新任医師着任!

6月1日、ついに当院緩和ケア科に新任医師が着任しました。
横浜市内の病院で泌尿器科を担当し、緩和ケアチームで働いていた加藤聡彦(トシヒコ)医師で、
今回緩和ケア専門医師を目指し、当院に着任しました。
以前から県内のがん診療拠点病院の緩和ケア研修会で、同じファシリテーターとして、一緒に仕事をしていたことがあり
顔見知りなので、「人見知りの」自分としても気が楽です。
今日は着任早々、患者さんの急変対応、お看取り、昨夜緊急入院した患者さんの診察、指示出し、病棟回診、
その合間にも、外来通院患者さんが救急車で受診、緊急入院するなど、
まさに「緩和野戦病院」といったあわただしさで・・・
彼も、当院の「忙しさ」は、話しでは聞いていたとは思いますが、初日から「実感」してもらえたようです。
明日は、私も加藤医師も、横須賀の病院で開催される三浦半島地域緩和ケア研修会の講師・ファシリテーターとして
参加の予定ですが、
基本的に、今日は自分は「研修日」として不在の日(ほとんどが呼び出されますが・・・)でしたが、
初日のオリエンテーションもあり、通常出勤しました。
ただ、彼がいない、いつもの金曜日だったら、もちろん呼び出され、1日中てんてこまいとなっていたと思われ、
戦力の充実は実に頼もしく、患者さんやスタッフに接する密度も高まることを実感しました。
緩和ケアに関しては、経験者ですので、病院の実務の流れを理解してもらえれば、さらに戦力アップとると思われます。
しばらくは病棟業務を中心として働いてもらいますが、将来は、外来を含めた診療体制の見直しも検討したいと思っています。
さらに、当直業務もおこないますので・・・・
その日の夜は、よほどのことが無い限り、自分は「緊急呼び出しの無い!」ワンダフルな時を過ごせることになります。
この気持ちの余裕は、たとえ、月に2~3日でも、自分にとっては何年かぶりに経験するもので・・・
自分のメンタルヘルスにも、いい影響となると思われ、
その分、日常業務にもメリハリが出るという、好循環となりそうな気がします。
ただ、人が増えた分だけ、今までと同じ量の仕事をシェアし、自分が楽をするだけででは何もなりません。
今までやりたくても出来なかったことが、まだまだあります。
そこに時間を割けるようになることが何よりも大切なことで、
平和病院の提供する「緩和ケアの質の向上」にますます頑張りたいと思います

(平成24年6月1日)




患者さんを選べるか?

平和病院の緩和ケア病棟には様々な疾患の患者さんが入院しています。
また、その状態も様々で、自分の状況をじゅうぶん理解し、静かな環境の中、
様々な苦痛の除去を受けながら、時間を過ごしている方もいるかと思えば、
認知症、あるいは脳転移などで、大声を出したり、徘徊したり、全く目が離せない患者さんもいます。
ほとんどの患者さんは、体力も落ちているので、転倒したりする危険性も高く、
足を乗せるとナースコールがなるセンサーマットや、クリップが外れるとすぐわかる「う~ごくん」(ナイスなネーミングには感心する)
をつけたりすることも、やむをえないケースもあります。
広い意味でもこれらは「身体拘束」で抑制帯で体をベットに固定してしまう行為と考え方は同じことになります。
原則的に、緩和ケア病棟では抑制帯を使用することはありません。
今の病棟には、自分では歩けず、発言障害があり、認知もあり、希望が通らないと大声を出す患者さん、
認知症と脳転移があり、一時もじっとしていられず、理解力も低下し、そばについていないと、危険な患者さんもいます。
特に夜間は看護師の数も少ないので、一人は付きっ切りで対応が必要で、他の患者さんのケアに時間が割けなくなる場合も出てきます。
また、大きな声は、他の患者さんから「自分もそのうちあんなになってしまうのかしら?」とか・・・
あんなに大声を出すほど痛がるのかしら」などと、自分と重ね合わせてしまうことにもなります。
おそらく、一般の施設では「安全のため」に「身体拘束」がおこなわれるのでしょうが・・・
看護師の中にも、このような患者さんをどうすればいいのか・・・
いろいろな考えがあると思っています。
このような患者さんが増えれば、他の患者さんに対してのケアの質の低下につながるので、
大声を出したりする患者さんは、ある程度状態がよければ、在宅での療養を行うべきだ・・・
あるいは、一般の病院、病棟で入院しているほうがいいのでは・・・と考えるかもしれません。
この考えも緩和ケア病棟の「特殊性」を考えれば、ある意味決して間違っているとは思いません。
また、緩和ケア病棟は「ありのままの患者さん」を受け入れ、対応すべきで、
そのような患者さんに対しても精一杯のケアを提供するべきである・・・と考えるものもいます。
もちろん、この両者の中間の考えの者もいるでしょう。
緩和ケア病棟では、医師のかかわる時間よりも、看護スタッフの係る時間はず~~っと長くなります。
一人の患者さんの対応に多くの時間を割くことは、スタッフの「疲弊」につながると思っています。
患者さんやご家族のことを考えることはもちろん大前提ですが、
自分としては、スタッフのことを考慮することも重要な努めであると思っています。
緩和ケア病棟に対するイメージは、どちらかというと、静かな環境で、落ち着いた看護、介護、を提供する・・・というものですが、
それでは、このような環境にあてはまらない患者さんはどうすればいいのか?
平和病院の緩和ケア科は一般病棟でも患者さんを受け入れており、これは、緊急も含め、
がん難民をなくす」という自分のコアとなる考えから、そうしています。
大声を上げたりする患者さんは他の病院、一般病棟で・・・という発想になると、
その患者さんを担当する一般病棟の看護スタッフがどう感じるか?
自分は緩和ケア科の医師ではありますが、緩和ケア病棟だけを見ているわけではありません。
一般病棟の患者さんももちろんですが、院長として全部の病棟に対しての責任を負っています。
一般病棟では、緩和ケア病棟の入院患者さんより多くの緩和ケア科の患者さんが入院しています。
ほとんどが、外来通院中、あるいは往診対応の患者さんの緊急入院、
あるいは状態が悪く、緩和ケア病棟の待機を続けることが困難な患者さんです。
確かに、緩和ケア病棟の患者さんと、一般病棟の患者さんでは、同じ緩和ケア科の患者さんでも、
入院のパターン、緊急治療の有無など、ずいぶん違うと感じていますが、
いわゆる「介護上の問題」でケアの必要度が高い患者さんの入院を一般病棟と、緩和ケア病棟で境界線を設けてしまうのか
あるいは、それ以前に、入院受入れの時点で境界線を設定してしまうのか・・・
多くの患者さんを経験するようになると、この問題は、決して避けては通れない問題になります。
もちろん自分だけの考えで方針を決めることは出来ません。
単純にケースバイケースといってしまえば簡単なのかもしれませんが、
根底には、緩和ケア科だけの問題ではなく、「ケアを提供する」基本的な考えの問題が横たわっています。
先日、たまたま在宅復帰していった患者さんが、続きました。
一人はご家族の協力、ご理解を得て、夜間に退院していただいたケース。
もう一人は徹底的にスタッフがかかわり、予定どおり退院できたケース。
緩和ケア病棟のスタッフは、自分が感心するくらい、根気強く係っていました。本当に頭が下がる思いで見ていました。
ただ・・・スタッフの行為を、自分が断ち切ることが必要なのか、やってはいけないことなのか、
あるいは、そのような事態が起こらないように「調整」することが必要なのか、そうすることはが自分の基本的な想いに反しないのか・・・
毎日があわただしく過ぎていくなかで、今後も何回も繰り返し考えていかなければならない問題だと想っています。
他の緩和ケア病棟はどうなんだろう・・・
もう少し突き詰めて考える必要がありそうです。
(平成24年5月20日)



かぶと

緩和ケア病棟ではなるべく季節を感じていただけるようにスタッフが工夫を凝らしています。
端午の節句の時期には、かぶとが登場しました。
このかぶとは、自分の息子の初節句ときに買ったもので、
もう、15年以上もしまいっぱなしになっていたのを自宅から持ってきました。
本当は、父が生まれたときに祖父が買い与えた(大正4年)八幡太郎義家の武者人形を飾ろうと思っていました。
白馬にまたがった義家に2名の従者が仕えているもので、かなりの大きさのものです。
自分が子どもの時には、義家の刀を抜いて遊んだりした記憶があります。
もう、100年近く前の人形ですが、これも息子の初節句の時に出したきり、18年も飾っていません。
ただ、かなりの大きさなので、今年は飾るのを断念しました。
何人もの患者さんや、ご家族が、このかぶとの前で記念写真を撮る姿を見かけたので
持ってきてよかったと思いました。
廊下の突き当たりの窓からは、庭園の五月の花が満開になっているのが見えます。
連休の時は、患者さんがベッドごと庭園に出て、さわやかな風に吹かれながら、
花を見つめていました。
節目節目の行事は、いろいろな想いを患者さん、ご家族に運ぶと思っています。
今、生きている時間を感じる方、、残された時間を感じる方、来年の今頃のことを複雑な思いで感じる方・・・
それぞれの、そして、さまざまな想いをのせて、季節はめぐっていきます
(平成24年5月8日)



予想以上

今年度もあと1ヶ月をきってしまった。
今年度が始まる前、緩和ケア科の新規紹介患者数を300人程度と予想していた。
平和病院で緩和ケアを積極的に行っていることは、徐々に浸透しつつあり、3年前が50人、2年前が140人、1年前は270人と、
かなりの勢いで患者さんは増えていった。
昨年6月に緩和ケア病棟が開設されてからは、より遠くの病院からも紹介患者さんが集まるようになり、
特に、横浜市で緩和ケア病棟を持つ某病院の医師が離職することが決まり、その病院が新規患者さんの受入れを
制限するようになってからは、さらに患者さんは増えている。
平和病院では、もともと一般病棟で患者さんを受け入れていたが、
緩和ケア病棟が出来てからもその体制は維持している。
緩和ケア病棟だけで患者さんを受け入れていては、たどり着くまでに患者さんは状態が悪くなることも多い。
緩和ケア科の外来診療もしっかり機能させているので、在宅で療養を継続できる患者さんも多く、今では100名を超えている。
また、近隣に緩和ケアに精通した診療所の先生も増えたこともあり、通院が困難になっても、
在宅で緩和ケアを継続して受けることが出来る患者さんも増えてきた。
鶴見区は緩和ケア連携がかなり充実している地域であると考えている。
このような患者さんに対しての確実なバックアップを提供することも、当院の大切な機能の一つで、
医師当直室には、緩和ケア科の患者さんの緊急連絡時には「院長コール」をお願いします・・・と、
患者さんの一覧が掲示してあり、随時更新されているが、
なんと140人を越えてしまっている!!
この前、学会に発表する準備で、緩和ケア病棟が出来てから7ヶ月間の統計を取ってみたが、
入院した患者さんの数は、緩和ケア病棟が40人程度であったのに対し、一般病棟は110人と、圧倒的に一般病棟のほうが多い。
もちろん、一般病棟から緩和ケア病棟に転棟する患者さんも多いが、
一般病棟に入院した患者さんの54%が、外来や、往診患者さんの、いわゆる「緊急入院」で、
その40%弱が、再度在宅復帰が可能になっていた。
緩和ケア病棟では、緊急で患者さんを受けるのは不可能なので、
以前から学会などで強調しているように、一般病棟での対応は地域での緩和ケアの充実には欠かせない。
今年度は、すでに380人の患者さんが新しく受診した。
最近は1ヶ月で40人程度の紹介数なので、どうやら年度はじめの予想を100人以上も上回ることになりそうだ。
以前は、一般病棟の稼働率がそれほど高くはなかったので、緩和ケア科の緊急患者さんは「いつでも」入院できる状態であり、
なにかあったときには「必ず」受けることを約束してきた。これは、自分としてのポリシーでもある!
この2月から、横浜脊椎脊髄病センターが開設されて以来、外科系一般病棟の稼働率はあがり、
以前のように病床が簡単に確保できる状態ではなくなってきた。
院長として、経営者の立場からすれば、まことに好ましい状況なのだが、
緩和ケア科の医師としては、ベッドコントロールが以前に比べると厳しくなりつつある。
まだ現状ではいつでも緊急の場合は受け入れる体制を維持出来ているが、
緩和ケア科の患者さんもこれ以上増えると、基本的なスタンスの維持が難しくなる可能性もある。
6月には緩和ケア科の常勤医師が1名増えることになった。(まだまだ何人でもほしいのが本音だ!)
今までより余裕のできる部分を、どのような形で患者さんに還元していくか・・・思案のしどころだ。
今ではほとんど出来なくなってしまった在宅に再び力を割くのか・・・
外来機能を強化し、受入れ人数をさらに増やし、待機待ちの時間を短くし、すばやい対応を目指すのか・・・
もちろん、自分自身やスタッフののスキルアップも含めた、提供する緩和ケアの質の維持向上は言うまでもないが・・・
地域全体の緩和ケアに対するパワーアップのお手伝いもしなくてはならない。
実際に来院出来ない患者さんに対する「緩和ケア相談」などもぜひ展開してみたい・・・
いずれにしても、人員が増えるからといって、のんびりできる・・・・ということはないような気がする。
緩和ケア病棟は、やはり、バタバタせず、落ち着いた環境で、緩和ケアを提供する場所だと思っている。
いかに、他の部署で緩和ケア病棟に近い療養環境と質を維持していくかが、今後の大きな課題になっていく
これからも予想を超えて平和病院にたどり着く患者さん達に対応するため、まだまだ気は抜けない。
(平成24年3月4日)


新しい仲間

緩和ケア科の患者さんに対しては、様々な症状の緩和がもちろん必要になるが、
よく「全人的苦痛」といって、身体的苦痛だけではなく、社会的、精神的、霊的な苦痛に対しても対応することが求められている。
緩和ケアを提供する病院、緩和ケア病棟のスタッフには、精神科の医師が在席することもあるが、
大病院ならともかく、なかなか中小病院に精神科の医師が在席することは多くはない。
ところが、緩和ケアで使用する薬剤の中には精神科で使用される薬剤も多く(いわゆる向精神薬)、
吐き気、不眠、せん妄(不穏)、痛み、倦怠感など様々な症状に対して使われることも多い。
特に、「せん妄」と呼ばれる意識の混乱、は状態が悪化した患者さんだけでなく、ご家族にとってもつらい症状となり、
看護師にとってもその対応に苦慮するおおきな問題となる。
実は、緩和ケアの指導者講習会も、「身体」と「精神」に分けられており、
一般の医師が受講する「緩和ケア研修会」でも「精神症状」の部分は精神科の先生が担当することになっている。
ただ、実際のケアをおこなう時、どうしても精神症状がコントロールが出来にくい患者さんもいるのも事実で、
平和病院の緩和ケア科にも精神科の先生が加わってくれたら・・・
との想いが、自分の中にも、看護スタッフの中にも強くあり、専門医師の確保をめざしていたが・・・、
ついに今月から非常勤ではあるが、緩和ケア科に、精神神経科の医師が勤務することになった!
外来診療はおこなわず、入院患者さんに対して、専門的な立場での診療、コンサルトをおこなう。
緩和ケア病棟にとっては、かなりのパワーアップとなり、
また、他科の患者さんの対応もおこなうので、病院全体にとっても大きな力を得たことになった。
今後も多職種の人材を確保し、さらに質の高いケアを提供していきたい。
(平成23年12月9日)



弾く人、聴く人

ある日、病室に行くと、部屋にキーボードが置いてあった。
Aさんが来月、発表会があるとの事で、練習用に部屋に持ち込んだのだ。
ヘッドホンをつけて、部屋で練習するらしい。
何日か前えには、Aさんは音楽療法にも参加し、いっぱい歌ってきたと、楽しそうに話してくださった。
楽器に関しては自分も興味があるので、Aさんの体調を聞くのも忘れ、しばらく触らせてもらった。
最近習い始めたばかりだとの事だが、ぜひ一度聞かせてもらいたいと思った。
時間があったら、発表会にも行かせていただきたいとも考えた。
同じ日、Bさんの病室にもスタッフによって、病院の小さなキーボードが運び込まれた。
お孫さんが、おばあちゃんに弾いて聞かせたいとの希望があり、Bさんのご主人に頼まれ、用意したものだ。
「看護師さんや、先生もどうぞ聴いてください!」といわれたが、お孫さんは照れてしまったので、
曲が聞こえてきた時、入り口からそっとのぞかせてもらった。
Bさんの部屋には何人かの親戚の方が集まり、さながら「ミニコンサート」のようになっていた。
Bさんはベッドを起こし、お孫さんの弾く曲に耳を傾け、穏やかな顔で、静かに笑っていた。
これって・・・なんだか・・いいよね!
ここは緩和ケア病棟なんだな・・・と、あらためて思った。
こんな小さな出来事も、一般病棟では、なかなか難しかったかもしれない。
この病棟なら、多くのスタッフがアイデアを持ち寄れば、もっともっといろいろなことが出来るかもしれない・・・・
そんなことを感じる1日だった。
平和病院の緩和ケア病棟は、まだまだ生まれたばかりだ。
(平成23年9月3日)



静かな時間

平和病院の緩和ケア科では、従来、緩和ケア病棟がなかったので、一般病棟で患者さんが入院していた。
新病院では,
「緩和ケア病棟を作る」事が自分にとっての大きな目標の一つであったし、
数年かけて資格取得などの準備も行ったが・・・
実際、「緩和ケア病棟」がどのようになるのか・・・予想が出来ない部分があったことも事実だ。
設計段階で、他の病院の緩和ケア病棟を見学させていただき、
取り入れるべき点、運用上不便な点なども、ある程度把握したが・・・
もちろん、予算上、建築面積上の制限もあり、あれもこれも・・・と、すべての希望をかなえることは、実際問題として不可能だった。
これは、緩和ケア病棟ばかりでなく、新病院におけるすべての部分で言えることだ。
緩和ケア病棟では施設基準も厳しく、患者さんやご家族のための設備が、一般病棟には必要とされないものも要求されている。
また、看護基準の点でも、平和病院の一般病棟の基準より看護師の配置を厚くしなければならなかった。
この点では、もともと十分余裕を持った看護人員の配置が出来ない(多くの中小病院の宿命でもいある)看護部には、苦労をかけたと思っている。
新病院に移行する前、看護部では各部署の勤務希望を募り、「緩和ケア病棟」の勤務を希望した看護師が多く配置された。
一般病棟では、いろいろな状態の患者さんを看なければならず、
手術患者さん、透析患者さん、寝たきりの状態の患者さん、超急性期の患者さん、緩和ケアが必要な患者さんなどが混在していたので、
看護師は大変だったと思う。
(今では内科系、外科系に分かれたが、それでも完全に区別が出来ているとはいえない)
緩和ケアに深く関わりたいと思っていた看護師も、実際時間をとることができず、悩んだスタッフも少なくなかったのではないかと思っている。
ただ、緩和ケア病棟では、すべての患者さんが緩和ケアの提供を目的に入院しているので、
方向性は統一されている。(ただ、一般病棟に入院していただいている緩和ケア科の患者さんもまだ多い)
また、病床数も16床(全室個室)と、一般病棟や、医療療養病棟に比べ、少ないせいもあるのか・・・
他の病棟の雰囲気に比べ、「静か」なことは、そんな病棟を目指していたのだが、実際、病棟にいて一番感じることだ。
静か」というのは、別に、実際の音量(それもあるが)の大きさだけではない。
今は、すべての病棟、病院全体を、漠然としているが、「静かで落ち着いた雰囲気」にする事が必要だと思っているし、
自分にとって大きな課題でもある。
緩和ケア病棟のホールにはBGMが流れているし、ほのかにアロマの香りがしている。
新病院では声が意外に大きく響くので、患者さんからご指摘をいただくこともあるが、緩和ケア病棟では気になることも無い。
来週には、廊下の壁面に何枚かの絵画が飾られることになっており、自分でも楽しみにしている。
絵画は、なるべく落ち着いた雰囲気のものを、自分で選んだのだが・・・
将来は、「ミニギャラリー」のようにしたいとも思っている。
まだまだ、生まれたての緩和ケア病棟を、多くのスタッフと一緒になり、
平和病院の緩和ケア病棟を選んでよかった」と、すべての患者さん、ご家族に感じていただけるような・・・
そんな病棟に育てていきたいと思っている。
(平成23年8月19日)